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〜この部屋では私の身近に起きた、ほんの些細な出来事や、季節の便りをお届けします〜

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[420] 今日から彼岸入り   2007年09月20日(木) 07時28分 更新
今年は彼岸花の開花がいつもの年より遅れている。

それでも、ちゃんと間に合わせて咲き出してきた。




今日から秋の彼岸に入る。

23日の中日は当寺では彼岸会の法要を行っているが、この秋分の日に地元小学校では運動会が行われる。とんでもないことだ。秋分の日の祝祭日の意味合いをまったく無視した学校の都合だけでの日取りなのか。父兄たちはお寺法要にも参列しなければならんし、運動会にも行きたいと戸惑ってしまっている。

そもそも、秋分の日の祝祭日の法定の意味合いは『『先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日』として国民の祝日に制定されたものである。この日の意味合いをしっかりと弁えて教育すべきことだ。

今日は、市の教育委員会があるようなので、しっかりこのことを申し入れしておこうと思っている。

[419] いこいの広場   2007年09月13日(木) 17時38分 更新






















 玄海東小学校への通学道入り口の角に新しく「いこいの広場」が誕生した。早速、東小学校の児童たちがみんなでコスモスの苗を植えてくれていた。そのコスモスがようやくぽつぽつと咲き出している。

 この百坪ほどの土地は承福寺檀徒の北九州在住の某氏の所有であったが、このたび「学校用地にお役立て下さい」と小生を通じてご寄付の申し出があった。

 市立の学校であるため、先ず市の名義変更や、学校として利用管理等手続きに手間取ったが、きれいに咲いた花を眺めて子供たち以上に、携わったものとしてホッとしている。

 今後「いこいの広場」がどのような花を咲かせ、子供たちの心のいこいになるのか、見守っていきたい。しかし何よりも、子供たちが乗り降りするバス停留所でもあり学校入り口の広い土地が、学校用地として確保できたことは、児童の安全や、景観維持においても大変ありがたいことであり、学校長の喜びでもあり、PTA関係者と共に某氏に厚く御礼を申し上げるばかりである。

[418] 祝・・爆笑マジック   2007年09月12日(水) 19時34分 更新







スナック『爆笑マジック』  近日オ〜プン!!

独立宣言に声援を送ったような??そんな中での新規開店の案内が届く。

マジでマジック 笑ってマジック 祈る!繁盛 (^▽^笑)


[417] 仏道蘇生運動   2007年09月11日(火) 10時01分 更新
























小生、かれこれ30年も前に現代の既成教団のあり方に疑問を持つ宗派を超えた僧侶たちが仏道蘇生運動を立ち上げて釈尊の教えの原点に帰ろうと訴えた時の結成メンバーである。さまざまな変遷をへて現在この寺の住職であるが、なおその御旗は降ろしては居ない。だがまた特別目立ってのさしたる活動もなく、運動としての広がりができないままに、時折こんな形でのろしを上げて存在のアピールをしている。(北日本新聞社後援で新聞記事にしてくれたが、小生の訴える意図は書かれていない。)

[416] 禅の文化展   2007年09月02日(日) 11時58分 更新
京都五山とゆかりの寺院から中世の禅文化の名品約230件・・・割引券を何枚ももらってるが、東京国立博物館での開催では航空券つき切符をもらっても観覧できない。

京都五山とは、京都にある禅宗寺院の大寺5つを選んで第一位から五位まで格付けた制度で、中国にならったものです。

五山は、時期により変遷がありますが、至徳3年(1386)足利義満が創建したばかりの相国寺を第二位とし、南禅寺を「五山之上」にした時に確定しました。足利氏は禅宗を支援すること厚く、室町時代は禅宗の文化が大きな流れとなって、日本文化の主流となりました。

この展覧会では、保守的な土地柄の京都に新しく中国からもたらされた禅宗が定着するまでをたどる第1章から2章、足利将軍家と禅僧の関係をみる第3章、五山僧の文芸活動、画僧の描いた水墨山水などを展示する第4章、禅宗寺院に安置された仏像、法会(ほうえ)に用いられた仏画などを集めた第5章という5つの章で構成します。
第1、2章では禅僧の気迫に満ちた風貌に触れることで強い意志、厳格な修行を偲ぶことができるでしょう。また、死の直前の苦しい息のもとで筆をとった遺偈(ゆいげ)にもご注目ください。14世紀以降、将軍や各地の守護、貴族などがさかんに禅宗寺院を建立しました。彼らが魅かれたのは、宗教としての禅だけでなく、禅がもたらした中国の文化でした。ただし、当時の中国の文化すべてを受容したわけではありません。

王朝文化の伝統をもつ京都が新来の中国文化をどのように受け容れたかというのがこの展覧会のみどころです。

今でこそ京都には数多くの禅宗寺院がありますが、栄西が中国から帰って禅宗寺院を建立しようとした時には、保守的な大勢力である延暦寺などの反対にあいました。栄西は鎌倉に赴き、北条政子、源実朝等の帰依を得て再び京に上り、幕府の出張所、六波羅探題の隣に建仁寺を建立しました。また、京都の貴族でも鎌倉幕府に近い九条道家は、中国留学から帰って博多の承天寺にいた円爾(えんに)を招いて東福寺を建立しました。これらの寺院では中国の禅を実践する一方で、密教や天台学もあわせて修めることで辛うじて保守勢力に許容されました。鎌倉時代後半、亀山天皇が禅に傾倒し、南禅寺を開いてからは純粋な禅が定着していきました。(京都五山禅の文化展みどころから引用)

[415] 早々と初取りの米上がる   2007年08月30日(木) 07時09分 更新





































収穫の秋にはまだまだというこの時期に早期米の収穫が始まったようだ。早速、檀徒の安永家より仏さまへのお供えとしての新米が届いた。実りの秋はもうここにあり。

[414] 夢見る力を信じて   2007年08月29日(水) 08時53分 更新










当市立小・中学校教職員等研修会・教育研究会が昨日実施された。全教職員参加とあってユリックス大ホールいっぱいの中で、小中一貫教育実施モデル校からの研究発表があった。その後の特別講演では作曲・演奏家の前川裕美さんの自らの「進行性網膜色素変性症」という回復不可能の目の病にある中での苦労と親の反対をも押し切ってアメリカへ単身留学し音楽を学んだ過程で障害者への対する日本とアメリカの違いなど大変参考になるお話を聞かせていただいた。聴衆の教師たちにとっても、障害を持つ生徒たちへの対応としては大いに勉強させられたことだろう。

講師の前川さんのそばにはアメリカ育ちの盲導犬グレースが寄り添い、静かに見守っていた。

[413] 崇福寺展チケットをどうぞ   2007年08月27日(月) 21時12分 更新










現在に生きる臨済宗は大応国師が入宋し招来した禅風は、大徳寺の開山大燈国師から妙心寺開山・関山無相大師に伝えられた「応・燈・関」の禅流となって今日まで伝わる。その大応国師ゆかりの崇福寺の名宝と大徳寺、建長寺等の国師関連の宝物を一同に集めて国師の遺徳を讃えることとなった。

承福寺からも、江月和尚賛の黒田長政の画像を一点貸し出し展示されることになった。

観覧ご希望の方は先着10名の方にチケットを差し上げますので、返信切手を添えてお申し込みください。ただが大好きという方はその旨お知らせください。

[412] 祝・権大僧正昇補   2007年08月19日(日) 07時30分 更新
隣寺の真言宗御室派・鎮国寺住職の法階昇進祝賀会に招かれて参席。
地域に密着しての幅広い活躍から、宗門にあっては宗政の要職を務められている経歴には敬服させられる。

[411] 鑑真展   2007年08月07日(火) 10時30分 更新





















お盆が終わったらいってみよう! 

この会場でこの秋には崇福寺開山・大応国師と大徳寺展を開くことでもあり、承福寺からも一点画像の貸し出しの予定でもあり、展示の仕方など見ておきたいと言う思いもある。

写真は画像掲示板からのパクリ。

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