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〜この部屋では私の身近に起きた、ほんの些細な出来事や、季節の便りをお届けします〜

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[595] さつき松原清掃へ   2011年09月12日(月) 09時24分 更新



























昨日は松原百選の玄海さつき松原内の草刈りとゴミ拾い一斉清掃の出方へ参加。

松喰い虫で大松は全滅状態から地元市民から保存、保護の活動が始まって、松苗の植樹と管理を行い、ようやく行政も参加して名勝皐月松原が維持されて来ている。

まだまだ、松枯れは続いているが、それを補充しながら植樹を根気よく続け、手入れをしていかねばならない。

[594] 初物の栗   2011年09月08日(木) 23時21分 更新
 


































どんな根拠なのか、初物を頂くと75日長生きするという。

今日は初栗を頂いた。長生きはしたくはないが、初物はありがたい。気持ちが新鮮になるからだろうか。

[593] とれたて新米   2011年09月02日(金) 21時52分 更新


























 早期米の稲刈りが一斉に始まったとおもったら、昨日は早や脱穀精米したとれたての新米のお供えが上がった。


 早速お供えをして、お下がりを頂いたがやはり新米の味は格別なものがある。

[592] 北京大学生の夏休み座禅学習   2011年07月22日(金) 10時51分 更新
 






 























 中国・北京大学夏休み修学旅行団一行23名が九州〜関西方面の旅の途中、承福寺へ立ち寄り、座禅の体験学習を行った。


 禅はインドから中国に伝えた達磨大師を初祖とし、河南省・嵩山・少林寺から始まり、宋の時代中国で大いに栄えた。当時日本から留学僧が出かけ、また中国僧が日本で禅を伝えるなど活発な交流があって日本の禅宗として定着して今日がある。また今日は中国からの皆さんがここで座禅を組み禅を学ぶひと時が出来ることは私にとっても嬉しい事だ。こんな挨拶を交わし、短い時間ながら一炷座禅と警策を味わってもらった。

 彼らは単なる興味的な体験でなく、あくまでも授業学習の一環としてとらえ、何に対しても関心を示し知ろうとする学習意欲の旺盛さに感心させられ、さすがに優秀な北京大学のエリートたちだと思った。

 皆まじめで礼儀正しく、日本の学生にない純朴さを感じて、汗を流しながらも迎え入れたこちらこそ嬉しい気分にさせられた。

 まだ、これら京都、奈良などへ向かうそうだが、単なる観光でなく、いろんな日本文化に触れて深く学んでくれることだろうと思いながら、見えなくなるまで手を振りあいながら別れた。

[591] まだまだ これから!   2011年07月02日(土) 21時45分 更新
東日本大震災から100日も過ぎると震災関係のニュースは少なくなり、活字も扱いもだんだんと小さくなってきた。様々な形で集められていた義援金も激減のような感じがする。だが、被災地ではまだまだ足りない。

そんな中、宗像仏教会では先月末に宗像市内JR駅に分散して立ち震災復興支援の募金活動を行った。

[590] RKBテレビ 取材   2011年06月04日(土) 21時44分 更新























 
 


探検九州」という番組らしい。福岡市内の「きりん幼稚園」では今まで幼稚園対抗相撲大会に一度も勝ったことがない。これを聞いた番組スタッフが応援しようということになり、精神面から鍛えようと座禅させることにしたという。

 いささか発想と動機は安易だが、当方の都合の時間に合わせて来るというから、どんな豆力士たちが来るのかと楽しみに待った。

 やっぱり期待通りのかなり鍛えがいのある顔ぶれの11人の力士たちがやって来た。挨拶を交わし早速2炷に座禅に入り、スタッフから厳しく頼むとの要請もあり、ビシビシ、バシバシと警策をあてて指導したが、さすがに大物ぞろいで、馬耳東風なのか、どんなに怒鳴っても、叩いても一向に効き目なく、あっという間の2炷の座禅時間は過ぎた。

 今日の取材は 相撲大会の道のりのほんの一部の収録なので、番組の放送時間の中の座禅鍛錬の場面ははごく短い事だろう。

 ちなみに放送日は7月24日夜RKB毎日放送「探検九州」で・・・

[589] 風邪ごもり…気の緩みでしょうか   2011年05月23日(月) 21時21分 更新


















 諸行無常は法の中、時の流れも人の世も。無常とは常なきことと知りつつも震災の地に佇みて知る。

 日本中をあれほど震撼させた津波被害と原発事故と放射能漏れの危機的状況はなお改善されてはいないが、人々の関心は次第に別の方向へ向けられつつあるのは仕方がない事かも知れない。
 
 緊張状態から気も緩みだしたようにも見える。それもそうである、いつも緊張状態で居られるわけがない。息抜きも命の洗濯も必要である。師より「緊張はするものでなく身につけることである」と教えられている。

 京都西方連山の最高峰の愛宕山に愛宕神社がある。全国の愛宕神社の総本宮で火伏せの神として知られ、7月31日〜8月1日は千日詣りとして賑わう。この日にお参りすれば千日分のご利益があると言うことらしい。

 今も伝統としてやっていることだろうが、大徳僧堂ではこの千日詣りの日に 大徳寺一山を代表して新参の誰かが夜も明けぬ暗いうちから歩いて愛宕山へ登り神社の「火迺(の)要慎」の護符を受けてきて山内の各塔頭寺院にその札を配ったものである。その「火迺要慎」の札を典座〈台所〉の柱などに貼り付けて火の用心を心がけてきたものである。
 
 しかし、火元は竈(かまど)でなくて心にあるのである。火の用心は火元の注意を戒め喚起することだが、火迺要慎の要慎は火に対してだけでなく何事に対してもよく慎むということである。



 禅の修行においても油断怠りなく勉め励み、正念相続していく不断の精進こそが大切なことである。その慎みの正念相続こそが心の家門を守り分別妄想の迷いのつけ入る余地はなく無事平安の境地に至ることが出来るのだ。

 何のことはない「緊張を身につける」とは即ち「火迺(の)要慎」の心得の実践であるのだ。こんなことを風邪ごもりの中で考えたが如何がなものであろうか。

 掲載の画像は石巻市の南浜周辺で震災前は日本一の漁業基地を誇っていたらしいが、市街地は見る影もない。白い大きな建物は石巻市民病院だ津波をもろに受け内部は廃墟状態らしい。震災直後屋上から手を振り救援を叫んでいたTV画像が何度か流されたあの建物である。

 禅昌寺の和尚は津波の凄まじさを説明しながら、被災現場を案内してくれたが、なぜか気が引けてカメラを向けてシャッターを押す事が出来なかった。やはり気の弱く、ずうずうしさの無い小生にはカメラマンには不向きだと思い知らされた。

 石巻の桜の名所の日和山公園の高台からようやく被災地の現場をカメラに収めたが震災の鋭い爪跡や迫り来る迫力ある現場も臭いも風も空気も何ら写せなかった。だがその分しっかり心に刻んできたので十二分に出かけただけの充実は頂いてきた。

 人は九州からわざわざ高い費用を使って老人が出かけて何になると笑うかもしれない。なるほど費用対効果からすれば経費相当分を救援基金に廻して現地の人に働いてもらった方は得策かもしれない。

 だが、被災地の人の声はわざわざ遠路来てくれたことへの感謝と泥まみれになってボランティアへ励む人たちへの感謝は聞かせてもらったが、それ以上に大切なのは被災地を実際に見て、被災地の人の声を聞き被災者の痛みを理解し共有してもらいたいという心の叫びを受け止めることもさらにこれから求められることなのである。

 単なる同情でなく多くの人々との痛みの共有こそが大切なのである。被災直後の現地の人の気持ちも2ケ月たった今の被災者とは大きく違って来ているている事を感じ取れた。

今夜23日、たまたまNHKの番組「鶴瓶に乾杯」を見たら何と今日ここに書きこんだ石巻・日和山公園からの映像が流れているではないか。単なる偶然であれ、今日の風邪ごもりのおまけとしておこう!



[588] 東北の震災地をゆく   2011年05月12日(木) 00時11分 更新























 先般の連休の最後の日に、なぜなのか引かれるように震災の地へでかけた。仏教者として他人事として済ませられない妙な感じだ。何の理屈もいらないのだが、強いて言えば、震災犠牲者の慰霊というのか、追悼というのか頼まれもしない慰霊供養の名目をつけての旅である。実はもう一つ被災地・石巻の友人が住する禅昌寺への陣中見舞いという名目もあった。

 今日11日は震災発生から2ヶ月にもなるが、なお鉄道は寸断され、列車は横転のまま、さらに田んぼの中に放置されたままである。なお手づかずの瓦礫の山があり、廃墟と化した無人の街があって胸が詰まる。

 連休中はボランティアや救援車両で渋滞するとの情報を得て、平日に石巻に入った。禅昌寺には午前10時前についたら、既に被災者の葬式が行われていた。震災発生の時の犠牲者だといい、街全体が大混乱の中で葬式など出せる状況でなかったといい、今になりようやく葬儀が出来る状態になったのだ。

 石巻では一日20体までしか火葬はできないらしく、多くのご遺体はトラックに積んで山形や東京近郊の火葬場へ運び荼毘に付してくるらしい。寺としてはこれからそういう形での葬儀が言ってくるのだという。

 荼毘に出来る人はいいほうである。近くの空き地には土葬された墓標というか、遺体埋葬の標識立ち並んでいた。

 禅昌寺和尚は被害の大きな石巻漁港近辺を一望する日和山へ連れ出し、またその瓦礫の生々しく残る被災現場へ案内してくれたので、小衲も力及ばぬとは言え、心において万霊への祈りを捧げた。

 平日だったが、大勢のボランティアの人たちは泥にまみれ鼻もよがむようなヘドロ独特の臭いの中での活動には頭が下がる思いであった。

 報道では連休にはボランティアが大勢押し掛けて混雑し有難迷惑だとか、邪魔になって困るという言い方もあったが、とんでもない濡れ衣であり、現地の人たちは「こんな所まで来てくれてありがたいことです」と感謝していた。まだまだ全然人が足りない。重機ではできない、人の手によらなければできない作業はいっぱいある。

 連休中も東北新幹線の自由席はは予想に反してがらがらであった。被害現場の人達はもう、被災直後とは思いは違う。いっぱい詰まった思いを伝えたいという思いでいる。観光ボランティアでも何でもいい、被災の人々と悲しみや心の痛みを共有し、いつまでもその人々と寄り添うことを忘れないために瓦礫の現場に佇んで見るのもいいかもしれない。

 禅昌寺の庫裡の玄関戸に書かれた和尚の意気込みに東北震災の復興への大きな期待を抱き、私は興奮状態で帰途のついた。

 

[587] 震災からの復興を願う   2011年04月25日(月) 22時49分 更新
 

 臨済宗大徳寺派の福岡の教区の有志の和尚達22名が博多・崇福寺に揃い、東日本震災の犠牲者への追悼の回向の後、市内を托鉢して義援金を募った。承福寺からは徒弟が参加したが、小衲は不参加。みなさん小雨の中御苦労さまと手を合わせて詫び、またの機会には都合をつけようと思ったことだった。

[586] 鎮魂の祈り   2011年04月07日(木) 10時54分 更新




















 昨日は消防庁の指令のもとに東北大震災の救援活動に出かけた宗像消防署の若き消防士の現地での活動と現状を聞くことができた。

 福岡の部隊は放射線が届く宮城県亘理地区での救助活動だ。必死の捜索にもかかわらず生存者の救出はできなかったが、多くの遺体は家族のもとに届けることが出来た。

 所定の期間の職務であったが、皆祈る思いでの救援活動であったらしく、声を詰まらせながら語る消防士の思いが伝わり、聞く私までが涙を流し、鼻水を垂らした。消防士魂は多く聞かれたが、救援に行く人、留守をまもる人皆が消防士魂にあふれている。

 今、多くの義援金や支援物資が届けられようとしている。それも大事でありがたいが、もっともっと皆さんの祈りを届けてくださいと語った若き消防士の私は手を合わせた。

 たまたま、その日の朝、我が寺の若和尚が昨日の朝日新聞の切り抜きを差し出した。小さな「祈り」の見出しに震災の瓦礫の中に佇みて祈る若き僧の写真がある。どこかで見たような姿だ。

 眼鏡をかけなおしてよくみると何と、我が承福寺から旅立った雲水の一人の姿である。記事によって所在や名前を見るまでもない、まぎれもない彼の姿だ。

 17年前だか、阪神大震災に自転車を担いで神戸に向かった自らをだぶらせては見たが、彼の祈りの姿には輝きがあるように見えるのはわが欲目なのだろうか。

http://allatanys.jp/A005/20110405PHA03263.html

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