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〜この部屋では私の身近に起きた、ほんの些細な出来事や、季節の便りをお届けします〜

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[88] お大師信仰   2003年06月22日(日) 23時41分 更新


























お大師像修復開眼に参列した中原部落の人々。

上八(こうじょう)地区の中原集落に昔、慈眼庵という小さな尼寺があった。庵主が亡くなってか、明治の頃にはすでに廃寺になってお堂はその集落の人々が「庵の寺」と云って皆で守り、時にはお籠りをして信心を培ってきた。
昔のお堂は朽ちて、今は2坪ほどのブロック建築に代わってはいるが、人々の庵の寺の護持の念は厚く、今般古く彩色剥離したお大師像の修復を行った。小さな木造とは云え、修復費、厨子の化粧直し等その経費は相当な額だったようであるが、部落民それぞれが資金を出し合った。
そして本日その開眼供養の法要を行った。同じ地区の寺として、その修復での相談を受けたことなどから、その開眼法要を勤めさせてもらい、土着というか、地域に根ざす厚いお大師信仰の一面を見せてもらった。

[87] 甘茶作り   2003年06月21日(土) 17時19分 更新


























台風一過の晴天。先般甘茶の葉摘むをして、お米のとぎ汁へ漬け込み甘茶作りの用意をしておいた。ほどよい干しごろ、揉みごろに合わせての好天気。来年の花祭りに使うためだ。

右のショウケが手揉み済み。

[86] 台風情報   2003年06月19日(木) 15時48分 更新






















玄界灘を行く台風の目が見えますか。?。

台風6号は玄界灘を横切って日本海へ。玄界灘を望む当寺も強い風が見舞う。最近台風の直撃が無かっただけに、なぜかわくわくして待つのは異常性格なのかもしれない。庭木の楓の木がなぎ倒されたぐらいで、大きな被害が無くて幸い。何より少雨傾向のこの地区ではむしろ、台風が適度の雨を運んでくれたことがありがたい。ご心配頂きありがとう。

[84] 古画像のデジタル復元   2003年06月13日(金) 09時14分 更新
承福寺所蔵の宗像大宮司氏貞の肖像画が、度重なる修復とその保存が悪く、ぼんやりとしかその姿が見えなかった。今までも赤外線写真等での試みで姿と賛が出ないかと試みていたが、いづれも駄目で諦めていた。ところが最近その画像のデジタル復元の技術があるとの情報を得て、大阪のスタジオpecoへ問い合わせ、早速復元への試みをしてもらった。完全ではないが、可能な限りの技術を駆使してもらってかなりの姿を見ることが出来た。その技術を評価する朝日新聞(大阪版)の記事に、復元サンプルとして、当寺が依頼した氏貞の肖像画が掲載された。古い文化財としての原画そのものに手を加えることなく、デジタル画像にての復元であるところが注目される。

スタジオ・pecoにも尋ねてください。

http://www.jin.ne.jp/peco/fukugenn/index.htm

[83]    2003年06月02日(月) 07時08分 更新





























一昨日5月31日は本寺の崇福寺での恒例の一日受戒会で、末寺30ヶ寺の檀信徒約550人が集い信心と誓いの一日を過ごす。その時と場を借りてできたての「輪廻転生の秘密」の本を持参し販売をさせてもらった。サインを求められて、いささか照れながらも、厚かましいさの勝利を喜ぶ。販売に協力いただいた総代の田志さまと檀徒の早川和子様には心より感謝いたします。(写真は崇福寺での一日受戒会)

そして昨日は自分が勝手に位置づけた「出版記念講演会」(前日この小部屋で掲示した人間性復活運動福岡支所のミニ講演会)も席いっぱいで、補助椅子を持ち込むほどの盛会であった。主催者の皆さんご苦労様でした。本も売り捌いて頂きありがとう。
(写真は婦人会館アミカスの研修室会場)

[79] 群青(ぐんじょう)   2003年05月10日(土) 14時16分 更新
座禅会の参加者の吉松氏より文芸宗像・・楠の会の同人誌「群青」なる文芸誌を頂く。幾つもの同人誌はあっても泡のように生まれ消えていくものが多い中、新宗像市誕生と共に新宗像文芸協会をめざしていきたいとの思いも込められた郷土で育てる文芸誌である。およそ、文学、文芸とは程遠い私ながら気持ちだけは賛同し応援しておきたい。

[77] 玄海なぎさマラソン大会ボランティア   2003年05月02日(金) 09時41分 更新
4月29日みどりの日は「22回.玄海なぎさマラソン大会」が行われた。当初むなかた・玄海走ろう会等のボランティアで始まった手作り大会から、玄海町の行事として町の予算も付き、ユニークなマラソン大会として定着してきた。ところが本年4月宗像市との合併で、その予算も打ち切られ、またまた大会当初の原点に返って、手作りボランティア大会をせざるを得なくなり、私までボランティア要因に組み込まれてしまった。その一つがマラソン10キロの部の最終ランナーの伴走者の役目である。長い冬ごもりから未だ抜け出せず、ほとんどランニングもしていない状態だったが、どんけつのランナーの伴走位は何とか・・・と言う気安さでひきうけた。走ろう会のメンバーなら誰でも出来るお役である。だが、誰でも出来るだけに、こういう役目はもう二度と私には与えてもらえないかも知れない、栄誉ある最終ランナーなのである。ともあれ、無事お役を果たし、最終ランナーさん (実はこの方はもっと早いランナーなのに急な腹痛で、競技のための走りをあきらめ、とにかく楽しく完走を目指す走りにきりかえて参加された)との晴れやかな記念撮影も無事おわった。 
(後方の山は湯川山・その山麓に承福寺がある)

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