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〜この部屋では私の身近に起きた、ほんの些細な出来事や、季節の便りをお届けします〜

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[514] 花祭り 法要   2009年04月01日(水) 14時16分 更新







四月八日はお釈迦様のご誕生の日。例年のとおり法要を営み、甘茶とおぜんざいの接待を行うが、最近、老僧の自分にもこのところ結構行事がつまり、お庭の手入れもままならぬ状態だ。忙しいくらいの方がいいのかどうか?なかなか引き際が見えてこないとはいささか情けない思いもする。

[513] 花を訪ねて   2009年03月28日(土) 20時42分 更新
一昨日は仕事を終えて、ちょっと足を延ばして北九州市門司のめかり公園の桜を求めてでかけた。まだ見ごろには早すぎたが展望台から門司の街並みや関門海峡を行き交う船を眺めてのんびりと気を過ごした。山の上にあるビルマ僧が建てた平和パゴダ(仏塔)は閑散として、風は冷たかった。

今年のそめい吉野の桜の花はなぜか白っぽくて桜色ではない。我が老人性の色弱かも知れないと、しばらくは黙っていたが、花談義の中で桜の色の良い年悪い年があるねということを何人もが言い出して、わが観察眼の狂いではないことにひと安心を得た事であった。

[512] 宗像ロータリークラブの座禅会   2009年03月18日(水) 22時37分 更新



























先週、宗像ロータリークラブの要請を受けて、職場訪問の一つということで、40名が当寺に集い座禅研修を行った。

座禅はそれぞれに緊張感を持って臨んでもらったが、クラブの機関紙の週報での掲載の記事では少々おふざけ気味の扱いにはε=ε=ε=(#`・д・)/ コラァー!! ////バシバシ!

[511] 初めてのイチゴ狩り   2009年03月13日(金) 23時20分 更新

























留学生対象の奨学金制度の日本のお父さん役的カウンセラーの役目としてお世話をしていた中国から九州大学理学部大学院に学んでいた奨学生が、成績の優秀さが認められ、日本学術財団の研究員としてお給料を頂けるようになり、奨学金の辞退となった。

そこで小生の彼女に対するカウンセラーのお役も放免となり、大きく巣立っていく喜びと、一抹の寂しさが残った。

だが、これで縁が切れるわけではなく、彼女にとっての日本のふるさとの宗像としていつでも来れる関係であることには違いないので、これからもさらに学び飛躍して行ってくれることを望んだ。

一昨日はカウンセラー役の最後の務めを終えて、彼女の希望で近くのイチゴ園にイチゴ狩りに行った。

小生としてはいつもの通り道のイチゴ園だが、実際にイチゴ狩りをするのは初めてで、採り放題、食い放題で童心に帰った。

[510] 郷土の英傑の遺徳をしのぶ   2009年03月06日(金) 00時22分 更新























宗像宮80代大宮司の宗像氏貞公はかっては宗像の国主でもあり、中世戦乱の地の宗像の領土を守り、領民の安堵を図った。氏貞は信仰心も厚く、承福寺の瑞林和尚にも参禅したり、いくつもの社寺の建立、復興に尽した。ただ、世継がなく死去したことにより、秀吉の命にて、お家断絶となる。墓は承福寺門前乙尾にあって、地域の人々によってまつられてきた。
近年、宗像大社の協力を頂いて、お塔の整備をしたことを期に、毎年承福寺と大社と交互に仏式と神式にての墓前祭を行うようになった。

(画像はその模様を伝える西日本新聞)

[509] ゴルフと座禅   2009年03月04日(水) 17時18分 更新
























ゴルフ専門誌「ゴルフダイジェスト」に「90を切るには“メントレ”だ」というタイトルで「坐禅に行こう!」という記事の中の座禅のできる寺の一つに承福寺の座禅会の掲載を許可した。座禅をしてゴルフの腕が上がるかは疑問だが、心の修行の一助として、しばし静かに己の心を見つめるひとときがあってもいいではないか。

[508] 尼僧の托鉢行脚   2009年02月20日(金) 22時22分 更新




もう何年になろうか、我が許で得度なせる慈光尼が僧堂の修行を終えて、岩手パパラギの里に新たなる道場を開くべく、全国を駆け巡り浄財の喜捨を乞うての托鉢行脚の途路授業寺である承福寺へ一時かえってきた。


北から南は鹿児島へ下りまた北へのぼり、四国をめぐって後、紀伊を回って・・・の行脚である。僧とはいえ女性である。その道にかける信念の厚さには授業の師たる私自身が感心というより敬服する思いだ。ひと時、草鞋を脱いでまた、旅立っていった。

[507] 久しぶりの再会   2009年02月09日(月) 21時57分 更新

























先般5日〜8日まで、かって台湾から日本へ留学していた同窓生・釈徳僧師 (王秀蓮禅尼)の寺・台中・善光寺を20名の同期生等と共に訪問。卒業後も何度かはお会いして旧交を温めてはいたが、最近は十年ほどお会いする機会がなくて久々の再会に感激しあった。ここには三度目の訪問であるが、訪ねるたびに寺は大きくなり、大勢のお弟子と信者を集められての仁徳のほどに甚く感心させられた。また、それにひきかえ、自らの仁徳のなさを恥じ入ったことである。

[506] 春一番の裏顔   2009年02月02日(月) 21時56分 更新


明日の3日は節分、そして4日は立春。当寺は豆まきなどの特別に行事はしないが、一番春を感じるのがこの季節である。

一昨日はすぐに治まったが「おや、春一番かな」という感じの雨と風だった。この頃の春先に吹く強い南風のことを「春一番」といい、今では気象用語となっているが、この言葉の発祥の地は壱岐であるという。決してキャンディーズの歌のようなウキウキ気分の意味合いではない。

1859年(安政6)春の嵐により壱岐の漁師が大勢遭難した。この季節の一番の嵐を地元では春一番といって警戒をしたものである。

実は二十数年前にも承福寺から望む玄界灘で、地元鐘崎と神湊のフグ漁船2艙がこの節分の前日の春一番の大あらしに出会い、帰港間近の海で遭難し、多くの犠牲者をだした。


春一番は嬉しい春を告げるものではあるが、その裏の顔には牙をむき襲いかかる恐ろしい一面がある。その犠牲者の遺体は次々と引き揚げられたが、残る一人が見つからず、捜索も打ち切られて悲しみ、茫然と海岸を探しまわる家族の姿が他人事ならず一層悲しかった。

そんな悲しみが伝わり、日課のお勤めにも祈りがこもった。さらに海岸捜索ということでもないが、当時の日課のジョギングを海岸へむけた。それから、ひと月半、お彼岸の入りの日に、その犠牲者は波打ち際まで帰ってきてくれたのだ。偶然とはいえ、お彼岸に和尚に見つけてもらったと、遺族に感謝されたことを思い出した。

昨年五月、総代研修で壱岐の島へ渡った。宿泊先のホテルのすぐ裏の元居公園に、船の帆をイメージした「春一番の塔」が建てられていて、春一番のいわれが記されていた。


写真は壱岐ビュウホテルの窓から写した「春一番の碑」








[505] 大分のナイヤガラの滝   2009年01月23日(金) 13時38分 更新




普光寺の磨涯仏を拝み、ふらふらとたどり着いたのが「野尻の滝」冬枯れの野に流れる川の水量が少なかったが、それでも見ごたえがあった。

昼食もとらずに走りづめにいささかお腹がすいて、滝の傍の道の駅の食堂へ入る。わがままな客の応対にもなかなかの親切で豊後の人はみんないい人だなぁという印象をうけた。

それは竹田城跡の入場受付の人親切にも感謝させられた。

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