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〜この部屋では私の身近に起きた、ほんの些細な出来事や、季節の便りをお届けします〜

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[545] 大宰府散策   2009年12月18日(金) 10時16分 更新
 去る13〜14日二日市温泉・大丸別荘において大学時代の同期会を22名の参集のもとに開く。

今回の幹事役として飲んで騒いでばかりでは幹事の資質が問われるので、翌日はバスを仕立てて大宰府散策へ。都府楼跡〜戒壇院〜観世音寺〜天満宮〜光明寺へ


戒壇院の和尚は檀用で留守だったが、前日電話にての訪問を告げていたので留守番のおばさんの対応を受けて、仏殿内で国宝毘瑠遮那仏をゆっくりお参りさせていただき、鑑真和上に拝す。一昨年福岡市博物館での唐招提寺展での鑑真和上の拝顔以来である。



ここの戒壇院は奈良時代に聖武天皇の勅願により建立された観世音寺境内に天平宝字5年(761)に建てられたものである。日本の三戒壇として知られ大唐国の鑑真和上を招き設置されたものである。

 三戒壇は奈良の東大寺と栃木県・下野〈しもつけ〉の薬師寺と、ここ筑紫観世音寺である。


ここの戒壇院は観世音寺の一部であったらしいが、江戸時代に観世音寺から独立し臨済宗妙心寺派・博多の聖福寺の末寺となっている。

観世音寺駐車場側の宝物殿は我が関心の無さにて、素通りするつもりでいたが、平安時代の仏像が収蔵されているとあって、皆が是非拝観したいを言い出して、仕方なく団体割引券を求めての大サービス。



[544] 日暮れの速きこと・・   2009年12月11日(金) 17時57分 更新



 今朝の雨は止み、晴れては雲り雨になり、またも晴れて日は暮れる。冬の典型の空模様の一日。

忙しいようで暇はあり、暇なようで気ぜわしい。

こんな時は寝るに限るのだが、貧乏根性が寝せてはくれない。

冬の長夜を奈何せん!


  “ 独り居の
       気まま楽しむ
           長夜かな ”


[542] もう師走だよ ┐('д')┌   2009年12月02日(水) 21時43分 更新
なんだかんだと言ってる間に早や師走・・・

どんな年だったかなんて振り返るにはまだその気分じゃない!

昨日は満月。

冬の夜の澄み切った空気の中に冴え冴えと浮かぶ

人ははどんな思いで眺めているやら・・・

星は出ていても星座の名もしらぬ天体音痴が悲しい(´_`。)グスン

゛分けのぼる ふもとの道は 多けれど
    同じ高嶺の 月を見るかな

[541] 女人不浄観?   2009年11月28日(土) 14時39分 更新
原始女性は太陽であった…とは女性解放の先駆者平塚雷鳥の宣言であるが、平安時代の才媛・和泉式部はそのことを如何に感じていたのだろうか。

先般、熊野本宮大社に詣でた折、境内の奥に和泉式部の小さな祈願塔があり、そこには女性なる生理の時にあたって御参りできなかったということが記されていた。(画像はその塔の説明板である)

やはり昔はここ熊野も女人禁制の時代があったのか、その月の障りの期間だけを控えさせたのか?結局、和泉式部はその夜、霊夢を見て奉幣を叶えてしまったがようだが、霊夢の名のもとに禁忌を犯したのではないかとの疑念を抱く。平安の世の才女の智略だったのかも?

昔は比叡山も高野山も大峰山も昔は女人禁制だった。富士山での江戸時代中ごろまでは女人禁制だったと聞く。大峰山も世界遺産登録において女人禁制の解除が女性活動家によって求められた経緯がある。


わが宗像市の宗像大社・沖津宮は今もなお厳格に女人禁制が守られている。ここは、本島から50キロの玄界灘の沖合の孤島だから女性差別だの女性解放といった論議は出てはいないが、はたして女人禁制が女性差別なのか、女性の生理が不浄なのか異論があることだろう。

だが、女人禁制が差別だとか蔑視であるとか、生理が不浄であるということではなく、宗教的意味合いあってのことであるならば、そのような神秘的世界に対する畏忌としての禁忌の風習や伝統はそのまま尊重し、守られてもいいのではないかと思ったことである。

[540] 熊野大社のご神木は梛(なぎ)の木   2009年11月24日(火) 17時09分 更新
本山団参として20名と共に法要参列の前に、熊野に足を延ばして昔人の信心の厚さに触れることも一つかと熊野へ出かけた。

新宮・速玉大社は二度目の参宮であるが、二度目は二度目の学びがあるものである。

熊野速玉大社のご神木が梛の木であることをガイドの説明で知る。ここの木は1000年の老木で国の天然記念物に指定されていた。

面白いと感じたのはここの巫女さんたちの後ろ髪の元締めの髪飾りが梛の一枝を用いられていたことだった。いかにもこの宮の巫女さんらしいなぁと思った。

この木の葉の葉脈は笹の葉に似て簡単には引きちぎれないことから、縁結びの守りとして喜ばれているらしい。ちょっと珍しいという。

だが、承福寺にも梛の木は植えてある。昔、ある宮居の神殿前の梛の木を見て珍しいと思い、落ちていた木の実を持ち帰り植えていたものが今では2,3メートルにも成長しているのだ。

しかし、じつは珍しいと思っていたのは単に自分が知らなかっただけで、地元宗像にも自生し、梛野(なぎの)という地名さえあるほどで決して珍しい木ではなかったので、今では庭から駐車場の上の藪の中に移植して自然にお返しして伸び放題に梛まかせに放置している。

だが、この梛の木がご神木と聞くと何となくありがたい木のように思えてきた。

[539] 那智の滝しぶきを浴びて   2009年11月24日(火) 10時03分 更新

本山参りの途次、ちょっと寄り道をして熊野三山と古道を歩き六根清浄とまではいかないが、古え人の信心の足跡を訪ねた。

[538] オリオン座流星群   2009年10月21日(水) 23時45分 更新






!(*`<´)・:∴ ヘーックシ!!ハークション

更けゆく秋の夜は寒さも加わってきた。オリオン座流星群が今夜もかなり見えるとのニュースに、それならばと夜空を見上げてしばし。

風呂上りの夜風は冷たく、寒さが肌身にしみてクシュンとくしゃみが出てきたが、一向に流星群は見えはしない。

五分のこらえ性もない小生には星の観察なんて到底不向きなのはわかってはいたが、流星が雨のように降り注ぐイメージを湧かせたのがいけなかった。

とうとう、風邪を再発させたようだ。

流星をあきらめ、★粒を集めて咲かす金木犀の花を眺めて部屋へ戻る。

[537] 仲良きことは善き哉   2009年10月08日(木) 12時59分 更新



すっかり秋の気配となって虫たちの合唱も聞こえてくるようになった。求愛の激しい叫びなのか、切ない願いなのか命の限りに夜を徹して鳴きとおす秋の虫。

ついに願いかないても、離れがたくいつまでも、おんぶをされても共にゆく・・・オンブバッタは仲良き哉


親ガメの背中に子ガメを乗せての風景だが、おんぶバッタは親子ならず夫婦なのだ。メスの背にオスがおんぶされて仲良きことは善き哉である。

[536] 大宮司就任祝賀会   2009年09月22日(火) 00時01分 更新
先日、当寺とのゆかり深い宗像大社の大宮司が定年に伴い交替し新大宮司の就任祝賀会のお招きをいただいて参列。

さらに来月1日からの3日間は秋の大祭・みあれ祭があり大宮司として多忙をきわめる日が続くことだろう。小生も毎年のことであるが承福寺住職として祭式に参列し直会をともにしてきたことである。

[535] ああぁ、松島や   2009年09月06日(日) 23時48分 更新
 






9月2日はかって大徳寺修行専門道場において当時の師家・藏暉室のもとで学んだ同窓たちの集いの藏暉会が仙台の永安寺で先師の法要を行い、夜は松島にて懇親会を開いた。

翌日は仙台の幹事が松島・釜石の観光を企画してくれていたのでありがたくご厚意に甘えた。

松島といえば瑞巌寺が定番の観光地で、ご案内頂くのは三度目となるが、説明はすぐ忘れるもので、聴くのも見るのも初めてのようで、新鮮な拝観が出来たようだった。

ただ、松島の島遊覧観光は感嘆の「ああ松島や」でなく、ため息の「ああぁ松島や}だった。

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