〜この部屋では私の身近に起きた、ほんの些細な出来事や、季節の便りをお届けします〜
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[524] 麦の秋
2009年06月01日(月) 22時12分 更新
風なぎの
空にさえづり
麦の秋
宗像の穀倉地帯・田島平野は一面麦の秋。
雲雀がピーチクパーチク。思わず車を止めてパチリ。
今日から六月だ。もう半年。あと半年。なすことなくても急かされる。
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[523] 菅生の滝
2009年05月28日(木) 07時29分 更新
法事を済んだあとの時間、ちょっと寄り道をして気の向くままに小倉方面に車を走らせた。
菅生の滝の標識を見つけて何となくその方向にハンドルを切る。
だんだん狭い道に入り離合さえ厳しく、引くにひけない山道を進むしかない。ようやく車の回転できる滝の手前の駐車場に止めて歩くこと15分。
落差30メートル、水量の少ない小さな滝だったが、周りにはいくつものお堂や石仏が点在し昔の行場だったようでその雰囲気はいささか異様さがあった。
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[522] 宗像市の歴史散歩コ−ス
2009年05月25日(月) 15時59分 更新
先般、宗像市歴史観光ボランティアの会のメンバーの二十数名の研修で当寺へ。日を分けてA.B.C.D.E.Fのコースを歩くらしくその案内パンフレットを置いていった。
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[521] 大徳寺・方丈の襖絵の復元
2009年05月23日(土) 22時58分 更新
昭和42年、大本山大徳寺の方丈上間の重要文化財の襖絵が何者かの放火によって一部が焼失した事件があった。
不幸中の幸いでその一枚だけで大火には到らなかったが、当時の管長の責任が問われた。わわ参禅の師であり、在錫中の身であっただけ心を痛めた。
先般、出仕の折、その障壁画がウン千萬円をかけて専門家によって復元されたことを、宗務総長の報告を受けて早速見てきた。
何千万円という額には仰天したが、管長の命を縮める事件として当時を知る者としては、喜びに堪えないことである。
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[520] 芥屋の大門 (けやのおおと)探検
2009年05月08日(金) 21時12分 更新
大型連休最後の6日、人込みの途絶えた頃を見はかり、客人と共に糸島半島にある芥屋の大門(けやのおおと)へドライブのでかけた。大変いい天気であったが生憎海が荒れて遊覧船は大門の洞窟内へは入ることが出来ず周辺をめぐるだけで終わりまことに残念だった。小生は以前、一度訪ねたことがあったが、折角の客人には日本の三大玄武洞内を見てもらえなかったのが心残りだったが、遊覧の小舟は荒海にもて遊ばれながらのしばしの船旅に満足?してもらったかな?小生は30分の周遊に船酔いをして陸にあがってからも朦朧運転を強いられてしまった。
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[519] 端午の節句
2009年05月05日(火) 21時18分 更新
旧暦(陰暦・・)五月五日は端午の節供(または、端午の節句)。五節供の一つ。
端午の節供と言えば鯉のぼり。鯉のぼりの登場は江戸時代初期だとか。もともと武家の間で流行った行事で戦勝のを祈る幟旗や家紋旗を立てた。
だから端午の節供とは切っても切れない植物、「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(しょうぶ)」に通じることで、武家ではこの日に幟などをたてて子々孫々までの武運を祈るようになったらしい。
豊かになった現代は武家ならず、一般庶民までがどでかい鯉のぼりをあげて男子の逞しい成長を願う。昔の貧しかった時代の我が近辺ではかって鯉のぼりは見かけたことが無かった。
当時の子だくさんの時代ではそれぞれがたくましく生き抜かなければならない状況であった。親とて無事なる子供の成長を願ったことだろうが、鯉のぼりなど立てるゆとりさえなかった。
そんな貧しい社会でも幸せは、それぞれが見つけて楽しんだものである。
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[518] メーデー??
2009年05月01日(金) 15時33分 更新
5月1日は昔は働く者の祭典メーデーだったようだが、今年はすでに4月29日に済まされて、われわれ働かざるものはツンボ桟敷である。新聞の記事にも目につかない。
新型インフルエンザの流行のせいなのだろうか??
雇用不安定の中で、労働者は身の安全のために小さくならざるを得ないということなのか。
今日はいい天気。絶好のメーデー日和だった。
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[517] 新入社員座禅研修会
2009年04月11日(土) 20時08分 更新
北九州の新日鉄関連の中堅会社の新入社員研修の一環として精神面の強化を図るため座禅と写経と和尚の話との依頼を受けた。昨日早速、その第一陣十七名がやってきた。2しゅの座禅と下手な和尚の話に眠気を我慢し、さらに写経でしびれを切らして、かなりの忍耐の行ができたことだろう。
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[516] 天上天下唯我独尊
2009年04月10日(金) 21時25分 更新
四月八日は降誕会。釈尊のご誕生の因縁の日に因み、報恩感謝を捧げる仏教徒にとっての大事な日だ。花御堂に降誕仏を据え甘茶を潅ぎ、ご誕生を祝った。
法要の後、ちょっとお説教をして、聴いてもらった御礼という訳ではないが、参詣者にはおぜんざいの接待をして法楽のひと時を過ごした。
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[515] 吉野の桜
2009年04月07日(火) 18時19分 更新
“吉野山こぞのしおりの道をかえ
まだ見ぬかたの花をたずねん”
吉野山には一度は花見に出かけたいと思うのはこの西行法師せいなのだが、かって月刊「世論時報」へつたないミニ説教を連載していたころ、その表紙絵を描いていた西行好きの画家からひょんなことから作品を2点頂いた。
文通上の知り合いだが、その彼が西行に憧れとうとう、西行ののぞんだ桜のしたで春死なんとばかりに吉野の里に引越しをしてしまったのだ。
今はもう、文通も途絶えて、生死も不明だが、そんなに吉野の桜がいいものなのかどうか、一度花見がてらに彼の消息を尋ねて見たいと、いつも桜の季節に思いだすことである。
そんな中、友より吉野の千本桜道の風景が携帯に入った。
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