<今月の禅語>


   徳不孤 必有隣(論語)  徳は孤ならず 必ず隣有り




 本当に徳のある人は孤立したり、孤独であるということは無い。純一高潔な人や

謹厳実直な人はとかく近寄りがたく敬遠されがちなこともあるが、しかし、如何に

峻厳、高潔で近寄りがたいと言っても真に徳さえあれば必ず人は理解しその徳を

したい教えを請う道人や支持するよき隣人たちが集まって来るものである。


 横浜を本店として東京・秋葉原に進出して、出版活動にも実績を

作っている「有隣堂書店」はこの論語の必ず隣有りから名づけ

られたことは昔からよく知られることである。

 承福寺の開山と仰ぐ月庵宗光禅師は峰翁祖一禅師のもとで出家し、

厳しい鉗鎚を受けて印可
(悟りの境地が認められること)が許されて、

さらに大虫宗岑禅師の下でさらに悟境を磨き、宗岑和尚の法を

継がれた。その後、行脚して悟境を磨き、但馬
(兵庫県北部)

幽深静寂な黒川の里に小さな草庵を結んで枯淡の生活を送って

いました。

 しかし、いくばくも無くその道香は自ずから発揮され、宗光禅師の下に雲水

(修行者)
たちが集まり、民衆はあい寄って伽藍を造営しまもなく黒川の山中は禅の

一大道場となったと言います。それは今もある雲頂山・大明寺である。

 その後、師の峰翁禅師は博多・崇福寺に入寺され、宗光禅師は師の峰翁禅師を

崇福寺に訪ねられたとき、承福寺の創開に当たり、禅師の徳風の大いなるを仰ぐ懇請に

よって承福寺に入寺開堂説法されて承福寺の開山
(初祖)となられたのである。

時の朝廷は開山様の徳を讃えて「正続大祖禅師」の贈名を賜わっている。

 人はおうおうにして、自ら学び得たことや、技量が世間に

省みられず、認められないことは耐え難いことである。

ところが、それまで己の主義主張や心操を曲げて、世間に

妥協し世間に迎合してしまいがちになることも少なくない。

しかし、意志堅固に道を求め続け、学において究め続けて

いれば、身に光は備わりおのずから理解者は現れ、支持する

人も出てくるものなのだ。

孔 子 像

 陰徳陽報ということばがあるが、目立とうが当が目立つまいが、人の嫌がる

ことや、避けて終いがちなことでも、喜んでさせていただく下座行、陰徳の行を

修めることによって自ずから身に光は備わり徳は高まり、人々は慕い集ってきて

孤にしてはおかないものである。



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