<今月の禅語>
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王維の詩「竹里館」の題の一節 独坐幽篁裏 独(ひと)り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち) 弾琴復長嘯 琴を弾じて復(ま)た長嘯(ちょうしょう)す 深林人不知 深林人知らず 明月来相照 明月来たって相照(あいて)らす |
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―独り竹やぶに静かに坐って、琴を弾きながら詩歌を詠う。 奥深いこの林の中のわが庵があるなど誰も知らないが、 明月だけはちゃんと訪ね来て照らしてくれる。― この語は世俗を離れて林野に隠棲し自然を友とし、独り幽境に 遊ぶ閑道人の悠然自適の境涯を伺うことができる。 今年は仲秋の明月は台風の接近で生憎の曇り空であったが、 月はわが心池に映りて輝くもの。雲はかげり月を被えど雲上に 月ありて、常に照らす。 |
明月とは悟りをあらわす。お悟りは求めずとも写す心の池、心の鏡に映るもの。 わざわざ遠く求めることはないのだ。 かつてチベットに旅し、チベットの田舎暮らしを体験した人の感想であるが、 彼は「本当の豊かさとは何かを考えさせられた」と語ったのを思い出した。 チベットは自然環境の厳しい国だ。物質的には決して豊かいえない。 着るもの、食べるものすべて質素でつつましやかだ。町でなく山地の田舎暮らし はなおさらのこと。 |
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羊飼いは草原に放牧された羊の群れを寝そべって 見守りながら一日を過ごす。旅人の彼は最初は 「あの人たちは一体何を楽しみに生きているの だろう?」とさげすんだような思いでいたが、 彼らの暮らしの中に入り、大自然の悠久の時間の 中に悠然と暮らす生活を知らされた。 |
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羊飼いの少年は草原にいて、その一日をただ遠くの雲を眺めているだけで、 退屈を知らない。そのときを充実感と誇りを持ってすごしているから孤独はない。 彼らはみな家族愛に包まれて、豊かな表情、豊かの心、人間味にあふれて、実に 豊かな暮らしを感じた。今まで自分たち日本人は豊かであると思っていたが、 むしろ日本人こそ貧しく惨めな生き方のように思えた。 |
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確かに、いっぱい物は持っている。 こうして海外旅行を楽しむ経済的ゆとりも できた。だがそれ本当の豊かさなのだろうか。 真の心の充実を得ているのだろうかという 思いに彼は駆られたらしい。 |
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人は物に満たされても心までは満たされない。だから多くの人は生きがいを 探し、生きる価値をさがしもとめるが、それは遠く求めてもえられないかも しれない。“秋風やなすことなくて心足る”の句を隣寺の老僧から頂いたが、 まさに孤独の中に合っても、自然の中に身をおいて、自然の悠久の時間に遊び、 秋風を喜び、月の照り来るを喜べるところに生きがいなんていらない。 より豊かな生活がここにあるのだ。 |
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