<今月の禅語>
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偶々
(たまたま)
松樹の下に来たり 枕を高くして石頭に眠る 山中暦日無し 寒尽くるも年を知らず |
太上隠者といわれる世捨て人が、偶々 (たまたま) この大きな松樹の下に来て 草庵を結び、悠々自適の生活はじめた。日の出と共に目を覚まし、花鳥風月を 眺めては詩をつくり、夜は石を高枕にしてぐっすり眠る日々。 この山中にあっては暦などあるわけで無し、時の経過など気にもしない。 だから、庵を結んでいったい何年になったものか?。今年もはや寒中を過ごし てきて、すっかり春の景色に彩られているが、この景観を何度眺めたこと だろうか。ただ、一切を放下している隠者の私は、自然と共に生き、自然の 呼吸の中に生かされていれば、そんな世間的な時間の流れなどまったく忘れて しまって気にもならない。 |
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この句は所縁を放擲し、一切の捉われなく 「無」に徹し、洒々落々の道人の心境を 表した語であるが、禅語としては、 単に実際の深山幽谷の山中の静寂そのもの 環境に身をおいて花鳥風月を眺めている |
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閑道人であることを決して喜び尊しとはしない。「忙中閑あり」で喩え日常は 多忙を極めながらも、己を失うことなく、時間に使われること無く、心境に おいては深山にいて、悠々自適の生活のできることで、この語がいきる。 例え、繁華街おいて暮らそうが、時間を超え、空間も超越して何のわだか まりも、悔いも無いおおらかで、ゆったりとした心境を築いてこそ「山中 無暦日」の語が活きる。 |
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