<今月の禅語>

   池成月自来 〈虚堂録〉  池成って月自ずから来る




どこかに池が出来れば、どこであれ月は必ずその水に宿る。

形によらず、大きさによらず月は等しく月影を宿す。

このように心の池さえ出来ればそこには仏心の月は映り輝く。

池にさざ波が立ち、揺れていたら月影は崩れて映らない。

風止み、波鎮まり、水澄めば月は明鏡に映る如くに輝き

生える。心を静め心清浄なれば、仏心はおのずとのその心池

に映す。その月影をうつす水とは人々の持てる仏性である。

仏性を具有しない人はいない。誰もが持ちながら縁の出会い

なのか、うらんだり悲しんだり喜んだり怒ったりで心穏やか

ならず、その煩悩の雲に隠れて仏性は輝き出せ

ないままに生涯を終える人たちも多いのは悲しむ

べきことである。

だからこそ、修行精進しその業障を祓い清めて、

もてる仏性を輝かせるべく心池を築き、仏心の

月を宿らせたいものである。



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