<今月の禅語>
巌谷栽松(がんこくさいしょう) 臨済録今般、承福寺は本堂改修工事がようやく終わり、工事のために 移植していた前庭の木をどうするかを総代が聞いてきた。 改修前の庭は松のほかさまざまな雑木が雑然と植えられて いたが、移植したあとの開々とした庭はすっきりとして、 これもまたいいものだと思える。 参詣者も広々としていいという声を聞くと、また元どおりの 庭にはしたくなくなり、松の木のみを戻すことにした。 総代が「なぜ松なのか」というので、私は臨済宗の寺には松が つきものなのだと、この「巌谷栽松」の語を引っ張り出して、 無理やり松を植えさせた。 |
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臨済録の中、臨済禅師の言行を記した「行録(あんろく)」に、あるとき臨済が松を 植えていたところ、師の黄檗禅師が訊ねた。「こんな深山に松を植えて如何する つもりか」臨済はこれに応えて「一つには山門の境致とし、二つには後人のために 標榜となさん」と応えた。 |
即ち、一つには寺の風致景観を整え、二つには後世の 人のための道しるべとするためであると言うわけだ。 臨済と黄檗の二人の禅匠のこの言葉のやり取りには 深い境地のさぐりあい禅問答であるから、その真意は 理解しがたいが、黄檗は「我が宗は汝の時代には 大いに盛んになるであろう」と臨済の境地の確かさを うけがったようである。 |
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「門と庭と玄関は住職の顔である」とも言われる。境内の環境整備は地道な布教なのである。 本堂前に植えし松の木が後人の標榜となるか、住職の生き方が問われることとなる。 |