<今月の禅語>

  掬水月在手

掬水月在手  水を掬すれば月 手に在り
弄花香満衣  花を弄すれば香は衣に満つ
(全唐詩) 于良史の詩「春山の夜月」の句の一節。



秋の夜、川面に両手を入れて、その水をすくって
見ると、そこに月が映る。
春の野辺、花をかざし弄べば衣服いっぱいに花の
香りがしみこむ。
秋と春の対比にも注目したいが、ここでは今の
季節の月に因む句を味わおう。

今年の仲秋の名月は9月12日ですでに過ぎたが、
当夜は雨だった。
しかし、昔から明月は十三夜の月(今年は10月
10日)に限るといい、仲秋の名月より十三夜を
尊ぶ人も多い。この日が晴れることを願いたい。
やはり秋の深まりとススキゆるがす涼風にちょっと
肌寒が加わり、澗酒のほのかな温もりが心地よい
からであろうか。
空気は凛としてこそ月は冴えわたるものである。
時々、この時季に寺では親しきもの達が集い月見の宴を開く。
当山には月を映す池がないのが残念だが、月見の客にはそれぞれの
心池に月を映していただくことにしている。
だが、客はめいめい勝手に杯に月を酒に浮かべて豪快に月を飲み
干して楽しむ。
おいおい、不粋な話じゃないの。もったいないことだよ。
もうちょっとロマンチックに月をながめ詩情にひたってくれよ
と下戸の私は諭す。

秋の夜、晧晧として月は耀き照り、水面に映す。
かすかにゆれてキラキラ動く。
その水をそっと手に掬ってみると月は手の中にも宿る。
月の光は仏の大悲大慈心であり、仏法そのものである。
貴賎貧富によらず、男女老若わけ隔てなく慈悲の光を
及ぼす。
どこもかしこも仏の命があり、仏の教えならざるはなしである。
禅的にいうならば、人境一如、自他不二で輝る月と、月を見る我と
一体となり月が我を包むか、自らが月に没入していくか、無心透明の
心に月は入りて耀く


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