こころの紋様 -ミニ説教-
〜煩悩あってこそ〜
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人は己の心の鏡だ
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世の中にはいろんな人がいて、いろんな人生を歩み、いろんな考えの人がいるものです。善人も いれば悪人もいるし、味方もいれば敵もいることです。自民党支持の人もいれば、共産党支持の人 もいます。右より、左より様々です。そういう人間の集まりが世の中であり、対立があり、争いがある のがむしろ当然であるといえます。これが世の中というものです。だからこそ社会が成り立ち進歩 発展し、いきづいているのかも知れません。悪いことをする人がいるから警察という職場が成り立ち、 弁護士や検事や裁判官の職業が成り立っています。病人がいるから医者や看護師たちの働き場が 生まれ、老人が増えることにより介護施設という職場が出来ています。 |
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人間の欲望、財欲によって様々の企業が生まれ 銀行が成り立ち、証券会社があり経済は活発に 行われていく。人間の食欲など三毒五欲の煩悩が あるがゆえに産業が興り生活が潤うものです。 自分にとって気に食わぬ人もいるし、邪魔な人も います。 いろんな人がいろんな考えでいろんな 生き方をしています。そういう人たちの絡まりあいで 世の中は成り立っているのです。 |
この世の中から一切の病気がなくなればよい、一切の悪がなくなればよい。だがこれは浜の真砂が 尽きるより難しいことです。人は皆、親切で優しく思いやりのある人ばかりが望ましいことです。 老人を敬い、席を譲るのが常識だと思っています。 だが、そういう善意の人ばかりじゃなく、むしろ 現実の世の中はこれとは逆の場合の方が多いかも知れません。だからこの現実を否定し逃げていては 社会生活は出来るものではないことでしょう。 「おはよう!」と挨拶をすれば「おはよう」と挨拶が返ってくるのが普通のことで当たり前のように 思います。しかし、必ずしもその挨拶は返ってくるとは限らず、時には冷たい悪口憎言さえ跳ね返って 来ることだってあります。しかし、このように「おはよう!」という返事がないからといって、腹を立て 相手を悪く思うのは、自分の考え、自分の気持ちの押し付けであるかもしれません。相手に自分の 願う返事や態度を求め、期待し、我が望しい思いを相手に無意識にも強要する偏見的見方です。 |
老人だから敬われ優しくしてもらえるものだ、親切にして もらえるものだと思っていたに冷たくされて腹を立てたり、 その人を悪く言うのも自分の一方的考え、願望の押し付け であったり、老人の甘えであり相手への期待のかけすぎ かもしれません。世の中にはどんな人がいても好いとは 言えませんが、現実にはどんな人もいるということを認識 しておかなければ、とんだ誤解が生じ足り、痛い目に合 わされたりするものです。 |
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「私は絶対正しい、道徳的にも間違いないし、誰に聞いても私が正しいのだ」といって、喧嘩し 醜く争い、憎しみ会えば、その正しさも正しさとして通じなくなることだって少なくなりません。 そして愚痴不平を並べれば、その分、自分の心を暗くするだけでしょう。自分は正しい、絶対間違い ないという、この自分のモノサシ、マス、ハカリだけで簡単に人を計り是々非々を決してはいけない のです。人もまたその人なりの別のモノサシをもっているものなのです。 このことを理解せず、 自分の考え方、常識だけで対すれば自らが苦しむばかりでなく、寛大さに欠け人をも苦しめることに なりやすいことも知っておきたいものです。 |