こころの紋様 -ミニ説教-


〜今日という奇蹟〜

災いの網目のなかで


 どこで聞いたかは忘れたが「ふと思う 我が知らぬ間に近づきて また離れゆく災いもあり」という道歌を

ふと思い出した。世の中は一寸先は闇だとも言われている。いつだったかはげしい雷雨にあって、よけた

つもりで隠れた木陰のその木に雷が落ちて何人かの子どもたちが死傷したことがあったし、なんでもない

運動場の子どもに直撃という悲しいニュースもあった。災難というのは人の予測をはるかに超えてやってくる。

 いやむしろ災難は目に見えずとも、どこにでも転がっているといっても過言ではない。

 それこそ、元気な奥さんがいつも通り慣れたる我が家の玄関の敷居に

つまづき、転んで骨折して入院と言う笑うに笑えない災難に出会った

人もいる。いつどこで災難にあうか分からないのが世の中で、ちょっと

したタイミングの差異で幸、不幸の運命の分かれ道ができる。

 まさに「ふと思う 我が知らぬ間に近づきて また離れゆく災いもあり」

だとつくづく思わされる。建築現場を通り過ぎた直後に資材の鉄板が落ち、

寸でのことで命拾いをしたとか、予定していた飛行機に乗り遅れて、

事故をまぬがれたとかいう話もよく聞くことである。

 世の中危険でいっぱいである。甘い言葉の、安易な儲け話、義理人情で格好良く引き受けた保証人の

押印による災難、まだまだ後を絶たない振り込め詐欺などなど、災難の種はどこにでも仕掛けられその

種はつきそうにも無い。 「世の中一寸先は闇」とはスタスタ無鉄砲に、不注意に歩いていては危険だよ

という教訓でもある。この闇の世の災いの網目の中を何事もなく、平穏に生きてこられたことを喜びとしな

ければならないことだろう。先般ある農家の法事のあとの談笑のとき「和尚さん、何かいいことないです

かね」と突然話しかけられた。

 最近の景気の不況風、経済の不安定もあり、またこれ

からの農業の先行きの不安もあったのだろうか。

 しかし意地悪く私は「ほう、何か特別悪いことがあった

のですか?」と訊ねると「いや特別ということではないの

ですが、ただなんとなく、パァーと景気のいい話が無い

かなと思っただけで・・」というわけである。

  その方の気持ちはよく分かってはいたのだが、坊主の悪い癖で、つい説教じみたことを言ってしまった。

「こんないい家に住み、こんないいご馳走を出せる経済力があり、忙しい中、わざわざ個人を偲んで

集まって来てくださる親戚縁者があり、いい奥さんがいて、いいお子さんたちがいてこれ以上何を求め

ますか。いいことばかりの真っ只中にいて何事ですか」と笑ったものである。今ある幸せを幸せと思わず、

さらに宝くじにでも当たったようないい目にあいたいと思うあまり、今ある幸せを見過ごして、未だ来ても

いない将来の不安や憂いを先取りし、取り越し苦労を背負い込んで悩み苦しみ、それを逃れようとして

あがく人も少なくない。しかし「ふと思う 我が知らぬ間に近づきて また離れゆく災いもあり」で私たちは

一寸先の闇の中を何事も無く、無事に今日までを生きられたことはむしろ奇蹟なのかも知れない。



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