こころの紋様 -ミニ説教-
〜 霊魂のゆくすえ 〜
―ご先祖勘当のすすめ・・@―
ちょっと何かの不幸ごとやトラブルが続くと、すぐに「これはひょっとすると水子や先祖の霊の祟りでは ないかしら」とか、あるいは「家の方角が悪いのでは」と言っては、どこやらの行者さんをたずねて伺い、 決まって先祖のさわりだとか、亡霊のつきもの云々といった悩みを背負い込んで寺に駆け込んで こられます。「和尚様、先祖の祟りというのは本当にあるのでしょうか。私は仏壇には毎日御仏飯を供え、 お茶をあげてお参りしてるんですよ。何で私のところの先祖様だけが・・・・」と不審と不安の入り混じった 思いからの相談です。そして「どうかお経を上げて供養してください」ということがあります。 |
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さてさて、その本人の不幸ごとが本当に先祖や水子の 霊のたたりなのかどうかは判断しかねますが、この世には 人間の目で見える世界だけがすべてではなく、目に見え ない霊魂の世界も否定できないことです。 だからこそ、人の弱みにつけこむ霊感商法や迷信、騙り による悪徳信仰がまかり通っていることもあり、慎重に 対応しなければならないところです。 |
私たち僧侶が故人を弔う時の儀式として、経を唱え、引導するのは霊の存在を前提として、死後の精魂 に語り、よき仏縁を頂き仏の導きに与り、往生の道を歩んでもらうためでもあります。決して形式のみで 行うものではありません。ただ残念なことにはその経や引導の功徳の力が及ばず、故人に通じないで真 なる済度が出来ないと言うことはあることです。それは、済度者の力量不足と言うことなのか、あるいは 故人がこの世に対する執着が強かったり、怨念その他もろもろの情念があって、僧侶の引導にもかかわ らず、肉体としては滅びながらも、なおこの世に遺恨をとどめ、往くべき道が見出せずにさまよう霊の存在 も少なくないと言う事実もあるのです。 |
そのさまよう霊を懇ろに諭し、また弔い導くことが必要でもあり ます。だが、私どもの寺に持ち込まれる相談事の中には、およそ 先祖とか、霊のさわりとか関係のない、自分たちの生活のあり方、 不摂生、考え違いから起こるトラブルが災いを為していることの ほうが案外多いものなのです。自分の不注意による事故や、努力 の足りなさの受験失敗、己の分以上に望む欲望が満たされない ことを不満とし、不幸に思うことまでも水子や先祖の霊のせいに |
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させられては、ご先祖様こそとんだぬれぎぬを着せられ大変迷惑な話です。 常識的に考えても先亡の方々がなぜわざわざ、わが子孫に災いし、不幸なめに遭わせる必要がありま しょうか。先祖であるならば、むしろわが子孫の繁栄発展を願っての先祖ではありませんか。 もし、先祖の霊が自分を祀ってくれないからといって災いし、家庭をめちゃめちゃするのなら、そういう先祖 は先祖の風上にもおけない、不届き千万な先祖です。だから私は「そんな先祖は家のためにもならない 不良先祖だから、さっさと勘当してしまいなさい」と冗談としていうのです。 しかし実は決して冗談ではなく ・・・次号へつづく |