こころの紋様 -ミニ説教-
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数年前のある梅雨の晴れ間、久しぶりにジョギング に出かけました。いつものコースの玄海のなぎさです。 この浜辺にはさまざまな漂着物が寄るところです。 前日海が荒れたわけではないのですが、一頭のイルカ が浜辺に打ち上げられていて、これを助けたことがあり ます。肥満の大人ほどの大イルカで、浜辺から波打ち 際のわずかな距離ながら、悪戦苦闘.水を得たイルカ は嬉しさのあまりか跳ねまわり、私に海水を浴びせ、ま だ方向感覚が戻らないのか、また浜辺に飛び上がる始 末でした。もう濡れたついでです。再び鼻先をつかみ、 沖の方へ押しやり、引っ張って一緒に泳ぎながら、私は もう胸元までの深みに至り「さようなら!もう、もどつて来 るなよ」と沖へ向けて放してやりました。 |
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潮を吹き上げながら勢い好く泳ぎ去っていくイルカを見送り、一人取り残された格好の私は、イルカとの束の 間の出合いと別れに一抹の寂しさを感じたものでした イルカとの格闘の最中は水の冷たさを忘れていましたが、本格的夏の前の潮風はずぶ濡れのシャツを通し て身にしみ、家に帰りつく頃はズルズルと鼻水が流れ、以来しばらくは風邪薬のお話になりました。 その後私は「俺はイルカを助けたよ.一緒に泳いで、結局風邪を引いてエライ迷惑だったよ」と、何人もの 人に自慢たらしく言いふらしていました。 | |
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しかし、偶然とはいえ、水族館などで しか見られない、イルカに触れ、抱いたり一緒に 泳ぐことが出来た事の嬉しさも少なからずありま した。思わず童心に帰り夢中にさせてくれた。イ ルカくんに感謝こそすれ、決して迷惑ではありま せんでした。 |
「人は他のひとから、してもらった事より、してやった事の方を覚える」といいます。なるほど、私は、イルカを 助けてやったのは事実ですが、それ以上に、そのことによって大変嬉しい、楽しい思いをさせてもらったと 言う充実感を頂いていたのです。 仏教の説く布施の精神とは、恵み与え施したと言う事は、自分がさせて頂く事の喜び、させて頂ける立場に ある事の幸せを感謝することがなければならないのです。「してやった」事は忘れても『してもらった事』は 忘れない事です。 |