数年前、お釈迦様の聖地、インド仏跡の旅へ出かけた時のことです。
その出発の前日が二月十五日で涅槃会(ねはんえ)でした。
涅槃会とはお釈迦様が亡くなられた日に報恩感謝のまことを捧げて法要を営む仏教行事です。
本堂に大きな掛け軸の涅槃図を下げて行います。
涅槃図にはお釈迦様が亡くなられた時の情景が細か描かれています。
永遠の眠りにつかれたお釈迦様の周りには嘆き悲しむ弟子たちのほか菩薩に神界の天人天女、
そして地上のあらゆる動物達も皆嘆き泣き崩れ悲しむ姿があり、
お釈迦さまの慈悲慈愛の大きさが伝わってまいります。
しかし、これはあくまでも象徴的な表現であり、いくらお釈迦様が偉大であり、
慈しみ憐れみをかけられたとは言え,まさか心無い動物、虫たちまでが,永遠の別れ惜しみ、
悲しんだり泣いたり涙を流すはずが無いという思いでいたのです。
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ところが、インドの旅のいたるところで、人も牛も山羊も犬もニワトリも皆,渾然一体の共存生活が
営まれていて、乏しい食糧を分け合う動物との平和共存社会を目のあたりにして、私は少なからず
ショックを受けてしまいました。祇園精舎近くのホテルに泊った朝、一人ふらりと散策に出て,
近くの小さな農家をのぞいたときです。かやぶき屋根の土壁の家の小さな入り口からおそるおそる
首を突っ込んで体を入れたところ、土間に寝そべっていた山羊が、見知らぬ珍入者の私に
びっくりしたのか、急に立ち上がり鳴き出したので、そばにいた数羽のニワトリがまた驚いて、
コケッコ,コケッコと跳ね回り、壁際のベットの上に飛び上がりなきさけびます。
この突然の騒動に家の中をのぞいた私のほうこそ、息が詰まるほどびっくりっでした
そこは紛れもなく人の住む家なのですから驚きもひとしおです。
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家の中には壷や食器の生活用具のほか、子供の教科書などが雑然とありましたが、
あまりの驚きに十分な観察を忘れて飛び出してしまったのです。しかし、そのとき、ああ、
これは正に日本を出る前日に見た涅槃図と同じ情景なんだと一瞬思ったのです。
あの涅槃図の情景は単なる絵師の空想や想像で描かれていたのではなかったのです。
インドの大地で生きる人々の普通の生活の中にお釈迦様もおられ、普通の生活の中で
亡くなられた情景に、神秘世界の神々、天人天女のお動きが加えられただけだと
いうことを発見したのです。そして、この地上にあっては人間のみが尊いのではなく、
生きとし生きるすべてが平等に尊く、共存共栄、そして自然と共に暮らす大地の思想が
息づいていました。その大地の思想から仏教が生まれたのだと思いました。