病気は信仰で治るか?

身病は食生活より

 

 北九州市の一婦人が、ガンを患い亡くなったが、その婦人はある信仰団体に通い、

そこで信心をし、何がしかのご祈祷料を出し拝めば治ると言われ、家族の忠告も聞か

ずに熱心にお参りを続けたらしいのです。しかしその信心の甲斐も無く、婦人は亡く

なってしまいました。遺族はついに、その信仰団体を訴えて、損害賠償を求めたとい

う新聞記事を見ました。その結末は知りませんが、問題なのは、はたして”病気は信

仰で治るか”と言うことです。「溺れる者わらをもつかむ」とは言いますが、医者からさ

じを投げられ人が、絶望のすえ、信心をはじめたら奇跡的に治ったと言う話はよく聞

くことです。それは偽りではなく、現実に私の知り合いにも、奇跡的な快復をされた方

がいるのです。だからといって、すべての病が信仰によって治るのだというのではあ

りません。やはり,病気をしたら早く専門の医師にかかり、しかるべき治療によって

治すことを考えるべきでしょう。たとえ、医者や医学に限界があるからといって、何

でもかんでも神仏のご加護に頼り、信仰によって病気を治そうとするのは単なるご

利益信仰(ごりやくしんこう)であって正しい信仰とは言えません。

それは、人としてのと努力や正しい判断力をうしなわさせたりします。さらにご利 益と

言う欲望の増長となって、迷いを深めることにもなることでしょう。「身病は食生活より

生じ、心患は業(ごう)=行いより生ず」と言われています。まず、肝心なのは、その

病気の原因が、何であるのかを、究めることで、その病苦の苦因を知りそれによって

食生活を正したり,あるいは業によることであれば,その行いを改め過去世の業障の

反省と懺悔を重ね、神仏のお清めを頂くことです。業障の病こそ、医学の及ばない

世界です。しかし,病気を治すために安易に神仏を利用すべきではありません。

何よりもまず人間的努力によって食生活を正し、生活を改め、反省と懺悔をもって、

神仏に額づき、霊性を清め頂き、人としての向上を目指すとき、神秘世界の薬王(薬

師如来)は、その者の病に合った薬を授け、加持をお与えくださるのです。信仰によっ

て病いが治るとは、信仰によって感謝と反省を知り、人としての正しい生き方による、

御仏の加護にあずかれる態勢作りの結果だと思います。


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