禅語に親しむ 

 <今月の禅語>     ~朝日カルチャー「禅語教室」より~


   香爐峰雪撥簾看 (白氏文集)

     香爐峰の雪は簾をかかげてみる



 「春眠暁を覚えず」という春先のこのごろ、すべてを打ち忘れていつまでも

眠りこけていたいという思いながら、貧乏性の小生は「早起きは三文の得」と

言われればついついわが身に鞭を打って起きてしまう。勤勉な日本人の一般的

傾向は早起きを良しとし、「朝に活路あり」と言い早起きが尊ばれる。

 そして朝寝坊は怠け者のレッテルが張られてしまいそうな雰囲気がある。

そんな雰囲気を感じて小心者の私はしぶしぶでも起き上がって眠気まなこで

朝のお勤めを自らに強いているようでもある。


 よく聞かれることであるが「和尚さんは何時に起きて

おられますか?」「朝は早いのでしょう?」と世間の人たち

は寺院の朝は早いのだというイメージがあるらしい。

 そんな時私は「よその寺は知らないけれど、私は目が

覚めた時が朝なので、早い時もあるし、日が昇っても布団の

中で爆睡のときもありますよ」といって煙に巻いているが、

正直、早起き勤勉が苦手である。しかし朝のスタートが一日を

左右すると言われ、早起きの効用が語られ、一日を吉とするか

凶とするかは朝起きから始まるのだと言われ、今日をとり

逃がす人は、一生をとり逃がす人であると囁かれれば、

ついつい欲深な私は朝起きの効用に与かろうとしてごそごそと起きだしている

次第である。そんな魂胆だから朝起きのご利益は一向に授からないのは当然である。

 ただ本音を言えば怠け心の持ち主の私をホッとさせる言葉が「遺愛寺鐘欹枕聽 

(遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き)香爐峰雪撥簾看(香爐峰の雪は簾をかかげ

てみる)」の語である。この語は唐の詩人・白楽天の「香炉峰下、新たに山居を

(ぼく)し、草堂初めて成り、偶々(たまたま)東壁に題す」という題詩の中の一節

である。白楽天は官位にあったがお上に対する批判風刺の詩など越権がとがめら

れて江州(江西省)に左遷された。江州は世界遺産でもある名山・廬山があり、

悠然と流れる揚子江があって風光明媚な土地である。

白楽天は大変この地を好み、左遷が解けた

のちに、再び江州に庵を結んだと言い、

その時の思いが「香炉峰下、新たに山居を

卜し、草堂初めて成り、偶々、東壁に題す」

の詩なのだろう。


  日高睡足猶慵起  日高く睡り足るも、なお起くるにものうし

  小閣重衾不怕寒  小閣にしとねを重ねて寒さをおそれず

  遺愛寺鐘欹枕聽  遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き

  香爐峰雪撥簾看  香爐峰の雪は簾をかかげてみる

意訳すれば

太陽はすでには高く昇っているし、睡眠は十分とってはいるが、まだ起きるのが

億劫だ。小さな家ではあるがふとんを重ねているので、寒さは少しも気にならずに

惰眠をむさぼるには心地よい。遺愛寺の鐘は枕を斜めにたてて聴き、香爐峰の

雪景色はすだれをはね上げて寝間からの眺めるはまた格別の趣がある。

 まさに風流人の老境というのだろうか。高潔な文人の優雅な心境を表している。

世間の一切のしがらみに縛られることなく、心にかけるものは何もなく、自然と

共に起居し、鐘の音に心を洗い、香炉峰の風景に溶け込んだ風境一体の心境を

禅者は心境に重ねてこの語を味わってみたい。




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