<今月の禅語>
~朝日カルチャー「禅語教室」より~ |
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この語は茶掛けとしてよく親しまれる語句である。昔、大徳寺管長・小田雪窓 老師の隠侍として仕えていたころ、よく老師の墨蹟ご染筆の墨摺りや落款印押しを させていただくことがあった。その時に「松樹千年翠」の語句をよく目にして いたが、その意味については深く考えもせず、松のいつまでも移り変わりの |
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ない翠を称えためでたい語としてお茶人さんたちが好んで 染筆を頼んでくるのだろうという程度の認識で、自分としては あまり好きな語句ではなかった。だがあらためてこの語を味わ ってみる今、いささかわが認識の甘さに気付いたものである。 春は百花繚乱どこもかしこも花さかり、夏は新緑萌え、 また緑陰をなして人を招き、秋は紅葉燃えて人の目を奪い 楽しませてくれる。このように自然の移ろいの中での感覚的な 美しさには敏感に感じられるが、常緑の松は視覚的なイン パクトは比較的小さいかもしれない。 |
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だが、松は昔から「松・竹・梅」というようにめでたさの象徴として大事にされ、 殊に古松、老松と言われるよう松樹は季節の移り変わりの中でも泰然自若、悠然と して翠を保ち、千年の時を経ても変わらぬ翠はますます輝きを増す。 松樹は日本庭園の中では最も似合う樹木かもしれない。それは松の翠に日本人は 万古不易の美しさを感じるからに違いない。 |
派手さはなく今まで目立たなかった松の翠の常盤 (ときわ)の輝きは自然法爾(じねんほうに)の説法に 等しいことなのだ。めまぐるしく移り変わり、 移ろいやすい世の中に目を奪われ心を失って いる現代にこそこの語は生きる。 |
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「野に山に神の教えは充つれども神の教えと知る人ぞなし」という歌もあるが 「古松般若を談ず」で松樹は千年の翠を示して教えを垂れている。 だが、世の人々は自然天然の奏でる般若の説法に耳を傾けようとしない。 道元禅師は “春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり“ とうたわれているが、山川草木そのすべてが神仏の世界の中にあって仏の 智慧徳相を示し仏法を標していることに注視したいものである。 |
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