<今月の禅語>
〜朝日カルチャー「禅語教室」より〜 |
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私がこの語に出会ったのは大徳寺塔頭・弧篷庵の客殿玄関の門額に刻書 された「作麼生」の文字だったような気がする。小さな門額で目立つものでは なかったが、随分古びていて風格を感じた印象だった。この作麼生の文字は 「如何」とか「どのように」言う意味として用いられる言葉であり、いろんな 語録でも見てきたことなのでその時初めて知る文字ではなく、また格別珍しい 文字ではなかったはずである。 |
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しかし、ここで目にした作麼生の文字は小堀遠州の菩提所の 弧篷庵と言う特別の場所であり、国の重要文化財の客殿と 国史跡・名勝指定の庭園とマッチしての作麼生であり、何を 以っての作麼生なんだろうという思いをしたことである。 否、それはもう40年も前の昔のことで記憶があいまいに なっているので、その文字は作麼生でなく恁麼(いんも) だったか什麼(いんも)だったかもしれない。 この恁麼(いんも)・什麼(いんも)とは先月の「枯木寒巌に 倚って、三冬暖気無し」の婆子焼庵の公案の中にも「正恁麼 (いんも)の時生如何(いかん)」と言う場面があったように |
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「そのように」「このような」「そんな」「こんな」と言う意味で禅語録で 「恁麼(いんも)の時、作麼生(そもさん)」と禅問答での問いかけとしてよく 使われることばである。かなり以前のことだがTVで「一休さん」のアニメ 番組が放映されていた。一休禅師の頓智にたけた幼少期を題材として漫画化 したものである。有名な話が意地悪な桔梗屋の爺さんとの問答のやり取り である。「この橋渡るべからず」の立て札にも関わらず一休はすたすたと 渡ってしまった。とがめられると一休は「いえいえ、端(はし)は渡り ません。真ん中通ってきました」と交わす問答の前に使われた「そもさん」 「せっぱ」の掛け声を思い出す。いきなり「作麼生」(そもさん)「説破」 (せっぱ)で始まるとんち問答からすべての話がユーモラスにドラマは展開 された。これはTVアニメの上のことで実際の禅問答ではこういう 言い回しはしないことだが「この語で思い出すのが「香厳、樹に上る」 の公案である。 |
香厳和尚云く「人が樹に上ったとして、 その人は口で枝をくわえて両手を枝から離す。 そして足も樹を踏まえない宙ぶらりんの状態 に在るとき、樹の下から誰かが『達磨さんは 西からやってきた真意はなんでしょうか』 問うたとしよう。これに応えなければその 人に申し訳ないし、もし答えようとして口を 開いたならば木から落ちてしまい命を落とす ことになるだろう。 |
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さて、こういう抜き差しならぬ、絶対絶命の事態に直面した時、お前さんは どうか?さぁどう対処すべきか」というように難題をぶっつけて禅匠たちは 修行者を窮地に追い詰め、進退をきわまる状況に追い込んで分別、相対の 理論理屈を打ち砕はせようとしてきたのだ。 雲門禅師は「こんな場合にはどんなに理論理屈にたけ弁舌さわやか だろうと、このような状況にあっては何の役にも立たない。仏教の大蔵経典 を説き得るだけの知識があっても、これさえなんの役にも立たないものだ」 という。進退きわまる生死の危機に臨まなければ自己否定の極の真人の 現成は難しい。避けず逃れず、ごまかさず、いい加減ししないでその場 その場のになりきってゆくとき、道は自ずから向こうから開ける。 「大死一番絶後に蘇る」と言うところを自分自身に迫られる作麼生 (そもさん)のである。 |
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