<今月の禅語>     〜朝日カルチャー「禅語教室」より〜


    萬里一条鉄 (槐安国語)    萬里一条の鉄




 字義通りにいえば、硬い一本の鉄線が千里万里を通して貫いていると言う解釈

になる。だが、ここでいう万里は距離だけでなく時間と空間を含めた天地、宇宙

を表す言葉として味わいたい。たとえ千里万里のきわめて遠い距離、空間の隔たり

があっても、仏心、仏性の真理の体得したる境地においては余念なく不動であり、

その正念は終始一貫して天地を貫ぬき無限に広く、しかもどこまでも続く様を

比喩的に表現して「萬里一条の鉄」の語にあらわしたものである。

蓋天蓋地いっぱい、天地ただ一枚の世界に住したるごとき心境をいう。


 世は移り変わり、万物流転し現象は常に生成変化し止まる

ことを知らない。しかしその現象のを為す根源にある実相に

通ずる仏心、仏性はどのような環境にあろうとも、また現象、

変化があろうとも万古不易であり何ら変わるものではない。

その固い意志、信念を表す語にも通ずる「一以って是れを

貫く」と言う語もあるが、禅者として何事にも動じない、

惑わされない強い意思を貫き通すさまを一条の鉄として

表現したという解釈もある。もはやそこには雑念の入る余地

はない。茶の道では茶を点てるとき純一無雑にして点茶の

一念のみに集中することを「気続点
(きぞくだて)」と言う

そうだが、まさに茶禅一味の心での正念相続であろう。

 昔、わが師であった大徳寺管長の小田雪窓老師はこの語を茶掛けとして好んで

書かれていたが、隠侍の私によく「己を虚しくせんとなぁ」と言われたり「蓋天

蓋地ただ一枚だよ」とポツリポツリ聞かせながら、病身にあって染筆をたのまれ

ると、これも説法だからをと何枚も何枚も震える手で書かれていたことを思い

出す。大本山大徳寺派と言う名刹の管長と言う立場であられて近寄りがたい威厳

があっても決して偉ぶることなく謙虚で、贅沢もなく雲水の作る質素な食事に

感謝で頂かれていた老師のその心はまさに「一条の鉄」で貫かれた真の禅者

であったと思う。




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