<今月の禅語>
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中国北宋時代の詩人蘇東坡の詩。蘇東坡は文学者であると共に役人でもあったが、 皇帝のをそしった罪で湖北省の黄州へ左遷された。その罪がとかれ、しばらく弟の いる ![]() に参禅した。そのとき与えられたのが無情説法の公案であった。 山川草木など情のないものの説法の声を聞けというものだ。 |
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因に僧問う。無情も還た説法を解すや否やと。国師云く、常に 説いて熾然、説いて間歇無しと。僧云く某甲甚麼ぞ聞かず。 国師云く汝自ら聞かずとて他の聞く者を妨ぐべからず。 僧云く未審什麼人が聞くことを得るや。師云く諸聖聞くことを 得ると。 云々 (参考に一部掲載) 蘇東坡はしばらく廬山に留まり座禅を組みこの公案に取り 組んだ。だがついに答えを出せず、常総禅師のもとを辞して、 ![]() から離れず馬に揺られながらも考え続けていた。いや考える というのでなく、全身全霊で公案に取り組んでいたのだ。 |
そんな旅の途中とある谷川へさしかかったとき、ごうごうと岩をも砕くような流れ の轟音に東坡はがらりと心境が開けたという、その心境を詩にしたのが、 渓声便是広長舌 けいせいすなわちこれこうちょうぜつ 山色豈非清浄身 さんしきあにしょうじょうしんにあらざらんや 夜来八万四千偈 やらいはちまんしせんのげ 他日如何人挙似 たじついかんかひとにこじせん の詩である。 |
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渓声即ち是れ広長舌・・広長舌とは、仏という立場の 方の特徴とする三十ニの瑞相の一つ。絶え間なく 響く谷川の轟音。そして山色豈清浄身に非らざらんや ・・山の青々とした風光、緑深き木々の森、森羅万象 のそのすべてが将にそのまま清浄なる仏の姿であり、 ご説法である。 |
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夜来八万四千の偈・・朝から晩まで絶えることのない如来の無限のご説法を聞く ことが出来るではないか。他日如何が人に挙示せん・・このすばらしい仏のご説法 の感激を誰に、どう伝えようか、言葉でも言い表せない筆舌しがたいことだ。 “ 野に山に仏の教えはみつるれども仏の教えと聞く人ぞなし” との歌にも通じよう。 実に、谷や川、山や木々は無情であり、何ら人の心があるわけではない。 けれど、その無情の山川草木から偉大なる仏の教えを見つけ、聞きだし心洗う ことが出来る優れた感性、能力を人は頂いているのだ。すべての計らい、捉われ から解き放ち、謙虚に大自然に抱かれて見るとき、自ずから清浄法身仏の雄弁なる ご説法にふれることが出来よう。 |
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