<今月の禅語> |
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大相撲初場所中日を前にして平成の大横綱と期待された、貴乃花が引退をした。 怪我が重なり、満身創痍の状態で土俵に上がったようだが、現実は甘くなく 土俵の上は厳しかった。その彼と嘗てって六十九連勝を果たした、かの大横綱 双葉山と比較する人がいるが、それはファンとしての贔屓目の見方であるように 思う。ただ、相撲界の一時代を担い、頑張って来ただけに彼の引退をねぎらい 拍手を送ってやりたい。 |
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一方比較されたかの双葉山にまつわる逸話として「われ未だ 木鶏足りえず」の語がつたえられている。双葉山はある酒の 席で、陽明学者であり政治学、哲学者の安岡正篤より相撲は 単なる勝ち負けでなく心を鍛錬し、天にいたる道だいう考え を「木鶏」の話にたとえて聞かされて、感銘し自らの相撲道 を励んだという。安岡正亜篤は元号の「平成」という名を 選んだ人だという。 その木鶏の話とは「荘子」達生篇の中の語。 闘鶏を育てる名人がいた。王の為に闘鶏を養う。 |
ある日、王は「どうだね、もう闘わせても良いか」名人云く「いえ、まだだめです。 まだ空威張りをして強がっているだけの状態です。そして十日後、王はまた尋ねた。 しかし名人は「いや、まだ駄目です。他の鶏の姿を見たり、鳴き声を聞くと興奮 している状態で、まだ本当の強さではありません。」さらに十日後、王はまだかと 尋ねた。名人はやはり「いえ、まだ駄目です。相手を睨み付け気負い立つ状態で、 まだ本物ではありません」そして十日後「もう大丈夫です。他の鶏の鳴き声を聞いて も平気でいます。まるで木で作った鶏のように無為自然でおれるようになりました」 とようやく承知をした。 |
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本当に強い鶏というのは肩をいからせたり奮い 立ち威嚇したり虚勢を張ることはなく、まるで 木鶏のように相手の動きに動かされたり惑わさ れることがない。泰然と構えてじっとしている だけだという。 |
![]() 双葉山の銅像 |
すなわち、これは人の道のことで、徳が充実していれば、戦うとか、勝つとか 負けるとか一切の計らいも無く無為自然の心の状態である。無我無心の状態で あれば相手の敵対の心を無くし、戦わずして勝つというより呑んでしまう無心の 働きなのだ。 この無心のはたらきを禅では木鶏にたとえ「木鶏子夜に鳴く」という。子夜の子は 子(午前零時の子の刻の子(ね)のことで、人知れぬはたらき、分からぬうちにと いうこと)で、無心の象徴的用い方である。 この木鶏の話頭を自らの道とする相撲に当てて、精進努力して69連勝の大記録を 打ち立てたのが双葉山である。だが、そんな双葉山もついに安芸の海に破れて しまう。そのとき安岡正篤は欧州旅行中のインド洋上船の中、双葉山は「ワレ イマダモッケイタリエズ フカバヤマ」の無線連絡をしたという有名な話は今も 語り継がれる。 |
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