こころの紋様 -ミニ説教-

~イルカの涙に教えられ~

- 施しは己の喜び -



 もう何年も前の話だが上八浜から釣川口への海岸をジョギでングしていたある日のことでした。

一頭のイルカが打ちあがり浜辺に横たわっていました。その何年か前にもイルカの死体を見かけた

ことがあり、またかと思い通り過ぎようとしました。その時ふと見たイルカの閉じた目から一筋の涙が

流れているように見え、おや生きているのかと、シューズの先でちょっと蹴ってみると尾びれを

ピクピクと動かし「俺はまだ生きているよ」と訴えかけているかのようでした。

 肥満の大人以上ほどもある大イルカです。

正直言ってちょっと困ったなぁ、直接手で触るのも

気持ち悪いし、このまま見殺しにするわけにもいかず、

しばし躊躇しているをキュンという苦しそうな声で

助けを求めているようなのです。「おお、ごめん!」

もう、手が汚れるとか、気持ち悪いとか言っている

段ではなく夢中で鼻先を持ったり、尾っぽをひき

づったり、漂着の丸太をテコにしたりしながら転がしたりの悪戦苦闘の末、やっとの思いで海に

戻してやりました。水を得たイルカはよほど嬉しかったのか波打ち際で跳ね回り、私の顔は

おろか全身に潮水を浴びせかけながら、沖の方へ泳いで行ってしまいました。潮を吹きながら

去っていくイルカを見送りホッとすると共に、この束の間のイルカとの出会いと別れに、一抹の

淋しさを感じたものです。

 イルカとの格闘の最中は水の冷たさをすっかり忘れていましたが、その後ずぶ濡れのシャツを

通して秋風は身に染みて冷たく我が家に帰りつくころはズルズルと鼻水は流れ、以来しばらくは

風邪薬のお世話になりました。それでも私はそのイルカとの偶然の出会いになぜか興奮し、

嬉しくて私は童心に帰ったように「死にかけたイルカの命を助けて、一緒に泳いだよ」と自慢

たらしく言いふらしていました。イルカの救助に当たってはヘトヘトになり、おもけに風邪まで

引きましたが、それでも思わず童心に返り夢中にさせて

くれたイルカ君に感謝こそすれ、決して迷惑という気は

していません。 「人は他の人にしてもらったことより、

してやったことの方をよく覚えているものだ」と言います。

 なるほど私はイルカを助けてやった事実はありますが、

それ以上にそのことによって私は大変いい思いをさせて

もらったという充実感がありました。

 仏教で説く布施の精神とは恵みを与え、人に施したということは、人を助け感謝されるため

でなく、自分がさせて頂くことの喜びを味わわせてもらい、またさせてもらえる立場にあることの

感謝と喜びを懐くことでもあるのです。これは本来の布施の精神を忘れ、人に何かを施し、

助けたことの方をいつまでも覚え、恩着せの心を忘れられずにいるのかも知れません。

 そして逆に助けてもらったり、恵み頂いたことに対する感謝の思いはその時だけで、

やがて薄らいでいくという現実もあります。だからこそ、昔の格言に「かけた情けは水に

流せ、受けた恩は石に刻め、」とも言われています。このことをよく知りわきまえて「して

やった」ことは忘れても、「してもらった」ことはいつまでも忘れない心がけは大切な

ことだと思いました。



最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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