こころの紋様 -ミニ説教-

~美しい人生の年輪を刻む~

- 苦労を泣かす勿れ -



 新年が明けたというのに、なんだかんだで和尚の私は去年の暦がめくれず、二週間遅れてようやく

新年を迎えた。遅ればせながら〝新年あけましておめでとうございます″ 壬辰 元旦。・・・


 よく「和尚さんは今お幾つですか?」と我が年齢をたずねられます。おもわず「48です」となぜか

こたえてしまい相手を困惑させて楽しむ癖がついています。「えぇ~!うそでしょ?」と疑いの目を

向けられてしまいますが、48という数字には何の根拠も意味もありません。

 こんな時私は「実は私は小さい時から老け顔で「お前は亡くなった爺さんによく似てる」

「爺さんそっくり」だと親類の大人たちに言われ、爺さんの顔も知らない私はあまりうれしくはありません。

 爺さんのイメージを背負わされた私はますます

爺さん顔になってしまい、20歳の成人の時は

40歳に見られて、そのまま歳を重ねた48の今、

あなたが見るような70,80の顔に見られてしま

うんですよ。」といい加減なことを言って悲しげに

話すと、相手は一瞬びっくりしたような、どんな

顔をしていいのか戸惑う顔をされるのです。

   別に私は年齢を詐称し誤魔化すつもりはないが、年相応に見られるより、極端に若く云って

煙をまいて楽しんだ方が面白いからなのです。それでも「和尚さん目が笑ってますよ?」とすぐに

作り話は見破れてしまいます。やはり人の目は誤魔化せないものです。

 私は今年の元旦で25235日目になりました。年齢でいうと古希を過ごしたばかりで、70年の

歳月は長かったように思えるが、25235日という日数にするとなんだか短いような気がします。

 それでもよくよく鏡を見ればそれなりに顔には深いしわが刻まれていて、年齢はやはり隠すことが

できません。

 ただ残念なことは別に何の苦労もしてはいないのに

やつれ果てた皺ばかりがやけに目だって、人生の修行

で培ったはずの年輪を感じさせる老熟、熟変の美しい

皺が少ないことは情けない限りです。

 昔の人は「艱難困苦は人を玉にする」といわれるように

苦労を買ってでもしたと言い、苦労から培われる忍耐力と

知恵と力は人を良く磨き、人生の美しい年輪を刻むもの

だとおもいます。

 確かに無理やりさせられる苦労、いやいや行った苦労はただ苦労を泣かすばかりで心にシミを

つくり暗い影を映し、醜い苦労皺を刻むだけかもしれません。私はあと幾年か幾日かわからない、

我が残余の人生、安穏無障に甘んじることなく苦労をおしまず苦労を受け入れ、自らの磨き石と

して精進しこの一年も人生の美しい年輪を心に刻んでいきたいもだと思います。



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