こころの紋様 -ミニ説教-

~頑張らない人生~

- わが分を弁える -



 健康志向、健康ブームの今日、健康食品や健康器具の宣伝が目立つて増えたように思います。

その裏返し的に見れば多くの人が健康不安症、半不健康状態にあるのかもしれません。

勿論その半病人の一人がこの私でもあり、幾種かのサプリメントを口にしたり、続きもしない健康

器具を買っては放置して粗大ごみ化させていながら、なお懲りずに健康状態を維持したいと

焦っている始末です。それでもやはり健康ブーム、その涙ぐましい努力の結果が長寿社会づくりに

寄与しているに違いないと思います。
 しかし中にはガンバリ過ぎてかえって健康を損ねて

しまうこともあるようです。ジョギングはお金もかからず

健康に大変有効ですが、ジョギングの頑張りすぎで

心臓病んで死に至る人もいます。エアロビクス体操を

やりすぎて腰や足、膝を悪くする人、いきなりテニスを

して腕や肩を痛める人もいました。一所懸命に頑張る

ことはいいことといえますが、頑張り過ぎて心身疲労

状態までになると何のための健康運動なのか疑問です。

 昔よく、遊びやふざけが過ぎると「いい加減にしなさい」と叱られたものですが、過般古本屋さんで

「いい加減のすすめ」という本のタイトルがありました。内容はわかりませんがたぶんいい加減という

のは、一般的に用いられるデタラメとか中途半端的なという意味でなく過不足なく程よい加減、

ちょうど良い加減、つまりどちらにも偏らない中庸の精神、仏教でいうところの中道的生き方をいい

加減のということなのでしょう。馬は大河を渡るとき、流れに逆らって勇ましく泳ぐそうですが、激流では

逆らいきれずに溺れてしまうこともあるそうです。しかし、牛は流れに従って泳ぎ、自然に流され

ながらも結局は向こう岸へ到ると言います。めまぐるしいスピードで変化する時代です。

 馬みたいに頑張る人がもてはやされがちですが、やはり長い人生なればこそ、身のほどを知り、

牛のような着実な生き方を尊びたいものです。

 私は以前、自己流ながら水泳をやり遠泳の競技にも参加

したことがありました。最初の頃は力みかえって、手足を

バタバタさせるばかりで、なかなか前に進まず、50メートル

泳ぐとすぐに息が上がり、もうヘトヘトになりました。

 しかし何度かの泳ぎの中で水の浮力で人は自然に浮く

ものだというコツをつかみ、力まなくても、手足を自然に

動かして水をかいていたら、1キロでも2キロでもさほど

疲れることなく泳ぐことができるようになりました。

 世の中も案外そういうもので、自分の力で無理に生きようとすると苦しくなるものです。

水に浮力があるように、神仏はこの世に生を授けてくださった以上、生かせるための力もお与え

下さっているはずなのです。「焚くほどに風がもて来る落ち葉かな」という句のように、人それぞれ、

その人に備わった食いぶちがあるといわで、無理さえしなければ分に応じて生かして頂けるもの

だと思いました。大事なことは自分の分を知り、分を弁えることが大切なことです。「なせばなる」

とばかりに身の程を忘れガムシャラに頑張って無理し過ぎては挫折ばかりか、病気になったり、

命さえ落としかねません。それは仏様から頂いた生命を傷つけることであります。



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