こころの紋様 -ミニ説教-


~多くの犠牲者のお陰によって~

- 核・放射能汚染へ警鐘 -


  今、日本人の多くの人々が放射能汚染の恐怖に慄いています。思いもよらぬ東北地方の巨大地震と

津波によってもたらされた被害の大きさに日本全体が震撼させられたことでした。とりわけ、福島原子力

発電所の津波災害による建屋の爆発と原子炉からの放射能漏れという事実は単なる災害では済ませ

られぬ、危機的事態に周辺住民ならず国内外の人々の一大関心事となりました。素人の私達は怒りと

恐怖を抱きながら、どうしようもなく、ただ静かに成り行きを見守るしかありません。

 多くの人たち、そしてマスメディアは政府の無策を責め、当事者たる東京電力への厳しい責任追及を

始めていますが、私に限って言えば、私は責任追及をする資格のない一人であると思えてなりません。

 現代人々の間には公害に対する厳しい見方と環境改善への意識が高まり、目に見えて改まってきて

いるように思います。かって死の海とさえいわれた水俣の海が漁場として復活し、光化学スモッグの

ニュースもオキシダントという言葉もあまり聞かれなくなっていることは嬉しいことです。

 しかし、今、私達が比較的安全で快適に過ごせることの多くが、かっての公害の多くの犠牲者の

お陰によって改善されれてきた事を忘れてはならないという気がします。

 数年前、唐津玄海原子力発電所へのプルサーマル

(プルトニウム、ウラン燃料)の導入にあたって、多くの

反核団体や、プルサーマル導入反対の声が上がり

反対の署名活動がなされたとき、私はプルサーマルの

ことの認識はなく、今の快適生活維持の電力供給には

原子力発電に頼らざるを得ないのではないかという

認識でしたので、反核を叫ぶ人々への無関心というより、

その人々に対する冷やかな目が少なからずありました。もう何十年か前、京都の臨済宗のある本山の

塔頭(たっちゅう)の一寺院が数億円をかけて本堂の地下に核シェルター(核爆弾等の被ばくを避ける避難

設備)の建設を始めたということが、一時話題になりました。これに対して「核の恐怖におののいて、

衆生済度を図るべき坊さんが、自分だけ生き残ろうというのはけしからん」とばかりに、寺院関係や

世間の批判が向けられ物議をかもしました。その時私も世間の人々と同じに批判的冷やかな目を

向けたことです。今、核兵器の削減が行われようとしていても、チェルノブイリ原発事故の恐怖は

過去の出来事とされていていても、なお核の脅威がなくなったわけでもありません。原子力発電所の

建設当初から原子力発電の事故の危険と脅威は指摘されてきていたことです。その指摘が今、

現実となって私達の前に突きつけられました。誰もが今、放射能汚染から身を守ろうと、汚染に

まみれたくないと真剣に考え始めています。人の命、自らの命を尊ぶのは人として当然のことです。

 だから核シェルターの建設の是非はともかく彼の京都の和尚は少なからず核の廃絶を強く願った

ことでしょう。誰よりその思いは強かったことです。

 そのことに対して「核シェルターに逃げ込んで自分だけ

生き残ろうと考えるなんてけしからん、宗教者の取る

べき態度か」と罵る側の人たちは私を含めて、どれだけ

核や放射能の恐怖について考え、安全性をはかる対策

を考え行ってきたというのでしょうか。福島原発事故から

核爆発、放射能汚染が現実味を帯びて来て、自らの身

に危険が及ぼうという今、私達はただ批判と当事者への

責任追及するばかりの評論家であっていいのでしょうか。

 核シェルターを作った和尚の考えは、実は我が一人の命が惜しかったのではなく、仏教者として核の

問題を考えたとき、はたして自分に何が出来るだろうか。反核平和を訴え署名もした。

 だが、現実には核兵器はなくならないどころか、身近には原子力発電所はどんどん作られて放射能

恐怖をぬぐう方策がないのならば、その人類の狂気に対する自分に出来る事は何かを考えられたのに

違いない。その結果がパロディー的であれ核の狂気に対する反核の訴えが、本堂の地下の核シェルター

だったことでしょう。和尚は自分だけ生き残ろう、自分の家族が助かればよいなどとは考えてはいない。

 その和尚は被ばくして死ぬ時は皆と一緒にしねばよい、死ぬことはいとも簡単なことだ、しかし、死ぬ時

は死ぬるに任せて何もせず、ただ従容として死につく事が本当に仏教者の取るべき道だろうか。

 天より使命を付され与えられた命ではないか。与えられた命を大切に活かし、多くの人々のために

役立ててこそ仏教者ではないか。何の努力もせずに被ばくして死ぬことはない。人々に生き抜く努力を

訴え、命の大切さを教える使命と義務を持っての行った実践が核シェルターの建設であり、平和ボケ

して、まだまだ安穏無障を夢見ている私達への警鐘だったのです。



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