こころの紋様 -ミニ説教-


〜飽食と飢餓のはざまで〜

- 現代残酷物語 -


  仕事がら年忌法要の後の会食や結婚披露宴などの会席に招かれることが多いのはやむを

えないことであるが、あまりの豪華なご馳走を前にして、嬉しさと言うより、料理の数と量に圧倒

されて、もうそれだけで腹ふくるる思いになってしまいます。こんな料理のもてなしを受ける喜び

より、自分にはこんなに沢山の食を頂く資格があるのだろうかとつい思ってしまいます。

 少なくとも仏教者の端くれとして、お釈迦様の「身につつしみ無くして、世の施物を食らうこと

なかれ」と言う言葉を思い出してしまいます。この眼前の沢山のご馳走を、私ばかりでなく他の

同席の客人たちも食べきれず、あるいは食べ散らかしておそらく無駄に捨てられるであろう

お膳を眺めるにつけもったいないと言う思いのため息が出ることもしばしばです。

 他家のおもてなしであり、好意に甘えて、好きな

ものを好きなだけ頂けばそれでいいのですが、それ

でも何か割り切れない思いにさせられてしまいます。

 毎日、地球のどこかで餓死者が出ているというのに、

私たちの身の周りのホテルやレストランなどからは

大量の残飯が出されて捨てられています。

 もう何年も前の統計ですが、日本人の一日の食糧供給量は二五九一キロカロリー、摂取量は

二百四十七キロカロリーといわれ、その差は四四四キロカロリーもあります。それは即ち私たちが

それだけ食べ残したり無駄にすてられてしまうことなのです。その量は一年間になると三百六十五倍、

そして日本の人口一億二千万倍すると、何と一九兆カロリーとなります。その一九カロリーを食べ物に

換算すると、米なら五百二十万トン、牛肉なら八十万トン、ジャガイモなら二三七十万トンと言う

数値にもなるということです。およそ三千万人の年間食糧になるという試算がなされているほどで、

まさに驚くべき無駄が平気でなされているわけです。

 マーケットには世界の食材が満ち溢れています。

世界各国から貪欲に買いあさってきたことでしょう。

それはたとえ、机上の単純な計算とはいえ、およそ

三千万人分の食糧が無駄に捨てられているという

数値で頷けます。それにも増して、好むだがどれだけ

多くの魚や他の動物たちの命を無益に奪っている

ことかと思うと少々恐ろしくなります。

 世はまさにグルメブーム、景気の状況なのか最近ではB級グルメばやりです。食を楽しみ、

食生活を豊かにすることは食文化の流れであり、大いに結構なことで、戦後の貧しく飢えに

泣いた時代には二度と戻りたくはありません。しかし日々を飽食し、食料を無駄に捨て去る

ことは物の命を無駄に奪ったにも等しく、気づかず知らぬこととはいえ、実に残こくな行為にも

通じることではないかと思います。




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