こころの紋様 -ミニ説教-
〜不幸のさきぶれをさぐる〜
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ハインリッヒの割合に学ぶ
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老僧言われる年齢になる今でこそ、車の運転は慎重を期しているが、若かりし頃はかなり乱暴な 運転をして四度の追突事故や、信号や表示版の見落としによる交通取締りの反則切符を切られ、 かなりの罰金も科せられたものです。あげくには三十日間の免許停止になったこともありました。 それでも有難いことに交通学校での一日研修で交通法規の講習を受けることによって、免許 停止が一日に短縮されて助かったこともありました。 もともと勉強は苦手ですが、ましてや交通法規の講習なんて失礼ながら、お寺でのお説教以上に 面白くなく退屈なものでした。講師の先生には申し訳ないと思いながらも、ほとんど居眠りばかりして しまっていました。しかし、そんな退屈な講義の中にも、おぼろげながら一つだけ記憶に残ったのが、 足しかハインリッヒの割合という一対二十九対三百という数字です。それは一つの大事故の前提と して二十九回の小事故が重ねられていて、二十九回の小事故に至るまでには三百回のヒヤリと する場面に遭遇しているのだというのです。 |
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もちろんいきなり大事故の遭う人もいるで しょうし、他人の過失による突発の被害もある ことでしょうが、統計的に見て一対二十九対 三百という数字の示すように事故はいきなり 起きるものではなく、一つの事故には、それ につながる様々な要因の積み重ねがあって 起きるのだと言うのです。 |
なるほど私も恥ずかしながら何度かの小事故を起こしていますが、その小事故に至るまでには 確かに何度もの脇見運転でのうっかり信号の見落としたり、間違えたり、標識を見間違えたり、 スピードを出し過ぎたり、最も危険な居眠り運転で中央線をはみ出したりして、ヒヤッとする場面に 何度か遭ってきましたから、なるほどとうなづけるのです。ということは、事故を防ぐということは、 そのヒヤッとするような場面を如何に作らないかということであり、それはもう緊張感のもとの慎重な 運転より他にありません。この数字の割合は単に車の運転だけとは限らず、私たちの生き方の中 にも通日のではないと思うのです。家庭内における様々なもめ事、不始末や事故など、そのことが 起きる前には小さなもめ事の積み重ねがあり、その小さなもめ事に至るまでには何十回、何百回 かの不平不満の積み重ね、トラブルがあってのことでしょう。 |
いきなりの大病なんてありません。大病に至るまで には何度かの小さな患いや、体の不調、変調などの 自覚症状や見落としがちなサインとなる症状がある はずです。そして、その小さな患いに至るまでには 何十、何百回かの飲みすぎ食べ過ぎなどの日頃の 食生活の過ちや不規則な生活などの不摂生がある のではないと思います。 |
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仏教的に言えば因果応報の法則ということになります。一つの結果には必ず原因があり、その原因の 因に様々な縁が加わり、時至って結果たる果を結ぶものです。離婚、子どもの非行、病気、事故、家庭 内の不幸な出来事、もめ事など過去世、或は今世における因縁が絡まっているととでしょう。 しかし、それの多くが自ら作った因であるのにも関わらず、先祖や水子のたたりのせいにしている人も 少なくありません。先ず、自らの生活、考え、生き方を見直し、災いや不幸の原因の因を見つけ、反省 したり懺悔しながら一つづっでも取り除き解決して行ききたいものです。決して世間のせいにしたり、他人 のせいにして不平不満を懐き、愚痴ったりしたくないものです。 |