こころの紋様 -ミニ説教-


〜 迷う人に迷信は存在する 〜

―占いはどこまで当たるのか―



 ある30代の婦人からの相談である。3人の子供たちも大きくなり、今住でいるアパートでは狭くなった

ので思い切って家を建てようと思い立ったら、姑がどこかで聞いてきたらしく『今、夫婦共に一番年回りが

悪いのでやめろ』といいだしました。自分たちとしてはすでに不便を感じていますし、子供たちも成長を

待ってくれません。受験期にかかる前には建ててやりたいという焦りがあります。姑は何かにつけて

家相とか方角とか日の善し悪しを申し立てて私たちを悩ませます。年回りや日の吉凶は本当にあるの

でしょうか?」という質問です。

  太陽は毎日私たちに光と熱を与えてくれます。

地球は無心に回転し、私たち日や時を刻んでくれ、春夏

秋冬を表してさまざまな恵みを与えてくれます。

こんな大自然の動きに対して人間が勝手に「よい日」や

「悪い日」を決めるのは太陽や地球に失礼千万な気が

します。もちろん天候に雨の日や風の日があり、暑い日、

寒い日があります。

これを受ける人によって、それが良い日であったり、悪い日であったりすることはあります。しかしそれが

占いでいう日柄の善し悪しを言う、六曜とか易占いなど、それぞれに根拠が無いわけではないでしょうが、

はっきりいって占う易者次第でその結果はまちまちであり、どれほど信用できるものかは疑わしい限りです。

 かなり以前のTV特集『占いはどこまであたるにか』という番組で、姓名判断、四柱推命等々、それぞれの

占い部門の高名な占い師たちを数名集め、同一の事柄について占わせました。ところがその結果でもまち

まちでした。さらにその占いの結果については、TV局と社会心理学者たちによる追跡調査が行われた結果

からも、占いの信憑性が疑われました。だからといって、すべての易占がでたらめとか、インチキとして否定

するものではありません。しかし、占い師毎に異なる判断を盲目的に信じるのは愚かしく危険な感じがします。

  ただ祝い事は大安の日を選ぶとか、友引の日に葬式を避ける

ということは迷信に基づくことであるが、これはある面、社会の

慣例となってはいても、さしたる弊害を伴うことでもないので、

あえて否定しなければならないというほどのことは無いと思います。

しかしあまり迷信に捉われ過ぎると、生活面で窮屈になり弊害にも

なることもあります。私たちの生活には良いことにも悪いことにも

遭遇するものです。

 人は心弱いというか、勝手なもので何か不幸なことに巡り合うと、自分の不注意や、誤った考え、過ちの

生活を棚に上げて手相や印相、家相や墓相のせいにしたり、先祖や水子のたたりにしてしまいがちです。

それらのすべてを迷信とは言えないが、そういうことに迷う心の人に迷信は存在し、災いは実によく迷える

人に降りかかることを私は見ています。しかし、ひとついえることは、何でも科学的、合理的になって生活の

節度、けじめを失いつつある現代こそ今一度自己の生き方を見つめなおし、悪い日といわれる日は心を引き

締め、良い日は節度を守り無事を感謝することを日の善し悪しや年回りなどを通して先人は生活の知恵と

して教えてくれたものなのだ考えて見てはいかがでしょう。



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