心の紋様  -ミニ説教-

 

博多山笠に神仏一体を見た

 

 

 私は祭りが大好きです。五穀豊穣を感謝する秋祭りは郷愁を感じて実に好いものです。

しかし、私は邪気、厄疫を払い、極暑へ向けて心意気をぶっつけてエネルギーをたぎらせる

勇壮で荒荒しい「みこし」をかつぐ夏祭りに一層の興奮をおぼえます。

必ず放映される博多山笠のTV中継を見るたびになぜか鳥肌が立ち、血が騒ぐような気分になります。

 そんな思いを話していたら、博多の乾物問屋のご主人が「いいですよ。かつぎませんか?

博多山笠は博多の祭りですが、東京の人だろうと外国の人

だろうと誰でも受け入れる開けたところがあるとですよ」と、

もう私をその気にさせて、山笠の担い手の衣装を揃えてくれました。

成るほど確かに私が加えてもらった大黒流れ組みの山笠には、

三人の青い目の国の人もいました。

 博多山笠は鎮守社.櫛田神社の祭りですが、この博多山笠の起源は、昔、博多の町に疫病が大流行した

とき、承天寺(臨済宗)のご開山さまの聖一国師が施餓鬼壇に法旗を立てて承天寺の僧や町人に

担がせて、大施餓鬼供養を行いながら市中を練りまわり、悪疫退散の祈祷を行ったと言う事です。

その施餓鬼壇が山笠のお神輿になったと言い、今でも、博多山笠のどの神輿台にも櫛田神社のご神符と

共に承天寺の大般若の祈祷符札が掲げられています。

そして、また聖一国師への恩義を忘れぬためだと、出発点の櫛田神社の清道旗を回って走り出した

2トンの山笠は、必ず一坦承天寺門前に立てられる清道旗へ向かいます。

この旗を回ってさらに街中の五キロの道のりを迅走しスピードをを競い合う

勇壮な男の祭りになったのです。

 明治維新後の政府による神仏分離令が出されるまでは寺と神社は密接な関係がありました。

仏教渡来以来、仏教は神道の神を仏法護神と位置付けて、神仏習合を計り、寺に鎮守社を併置したり、

神社に寺が併立されていました。その名残が各地にもあり、奈良の興福寺の鎮守社が春日大社で

あったり、西国三十三霊場の一番札所の青渡岸寺は今も那智神社と併立してあり、神仏習合を

はっきりと物語っています。

 このように神仏一体であった名残が博多山笠にもあり、

神仏分離令後もなお神事だ仏事だと分け隔てしない

博多町民の大らかさが,僧侶である私をも山笠の担ぎ手に

担ぎ出してくれたのでしょう。

しかし、何よりも日常の抑圧の中にある民衆は、非日常の祭りを通して心の解放を計り、激しく血を

たぎらせて心のリフレッシュを計ったのでしょう。さらにこの祭りを通して町民同士の心の一体化を

計ってきた庶民の生活の知恵を感じたものです。


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